コロナウイルスが世界全土に猛威を振るい始めてしばらく経ちますが、だんだんと記憶もあいまいになってきており、何が起きていたのかを記録しておくことは1つ意味のあることではないかと思いました。
世の中にある報道されているような情報だけでなく、東京都で働く一人として会社員にどのようなことが起きていったのかも併せて記録として残しておこうと思います。
コロナウイルスをニュースを通じてみている&仕事の現場に出ているという立場から見た感想も交えるので、コロナウイルスに対して多少不謹慎な感覚もあるかもしれないですが、こういう人もいる(というか多分大多数)という感覚で見てもらえればと。
また、私は基本は東京を拠点にしていますが、仕事の都合で週の半分ほど愛知県の三河地区にも出張しており、都会+田舎のそれぞれの感覚を基にしています。
ただし、現在(5/10)に過去分も含めて書いているため、多少感覚が忘れ去られている可能性もあります。エントリを書くにあたってニュース情報を参照してはおりますが、このエントリを事実として受け止めるのはおやめください。
しばらく時が経った時に、コロナの流行った当時には、どんなことが起きていたのかを生活感も交えながら把握することを目的に記載しています。
まず参考となるソースですが、このURLには日本国内の状況が数値で分かりやすく残されています。(東洋経済新報社の情報です。)
toyokeizai.net
2019年年末
このころはまだ全くコロナウイルスなんて言葉は出ていませんでした。
中国の武漢ではすでに感染者が出始めていたようです。
2020年
1月
世の中
1月16日に日本で初の感染者が発見されました。
中国での進行具合から発生源とされる武漢にいる邦人を帰国させるべく、チャーター便を用意し1月29日に武漢⇒日本への帰国第1便を出した。
自分たち
とはいえ、現場では全く気にも留めていない。普通に愛知県への出張もしている。
中国で何かバイオハザード的なことが起きているんだなぁと思った。
一方で、グローバル化が進んでいるので、一気に進んでいくだろうな、と感じました。
2月
世の中(日本での1日の新規感染者数は20名程度で推移)
大きいのは「ダイヤモンドプリンセス号」です。このころはダイヤモンドプリンセス号の話題で持ちきりでした。
ダイヤモンドプリンセス号というクルーズ船内にコロナウイルスの感染者が見つかったことによって、ダイヤモンドプリンセス号は一気に注目を集めました。(「感染クルーズが日本に!」といったタイトルでテレビでも報道してました。)
2月5日にはダイヤモンドプリンセス号の14日間の隔離も行われるようになってきて、徐々に日本全体が「コロナやべー」って雰囲気に包まれてきました。
ダイヤモンドプリンセス号に関しては、船内で適切な処置がなされているのか、といった議論も巻き起こっており、以下のような情報も出始めました。
ダイヤモンド・プリンセス号。岩田教授の衝撃動画と問題の本質 - 米山隆一|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
また、隔離が終わった後の家までの帰る中で在来線を利用したことによる乗客者への外部からの非難も発生していました。
中国の国慶節(春節)がこの時期でした。感染源の中国からの入国者を止めるか否か、というのにも国民の関心は向いていました。
結果として、入国を止めることはせずこのころはまだ銀座に人があふれていました。
また、このころから徐々に「東京オリンピックは無理じゃね?」感が出始めていました。
しかし、政府は東京オリンピックの開催をゴリ押し(?)するつもりだったのか、感染者数が少ない、といった情報操作をしているのでは!といったこともネットでは議論になっていました。
また、マスク不足が発生し始めたのもこのころだったと記憶しています。
なお、このころにはまだ自粛要請等は政府から出ておらず、「それもどうよ!?」的な雰囲気になっていました。(それを言ったら東京オリンピックがNGになることを恐れてる?と。)
ちなみに、政府はこのころまだ桜を見る会の話題を持ち出しており、「あー、終わってんな」と思った記憶があります。
自分たち
上でも少し触れていますが、徐々にやばい感が出てきました。
中国人が銀座に押し寄せる=東京にもコロナの波がやってくる、という雰囲気を感じ始めたため、より深刻度が増していった、という感じです。
とはいえ、まだ普通に職場には行っています。愛知にも出張に行っています。
どの会社も特段制限を設けるようなことはしていませんが、徐々に「どうする?」話が出始めていた時期です。
関心は自分たちの生活というよりも、ダイヤモンドプリンセス号大丈夫かな?とかそんな感じです。
あ、一つ忘れてはならないトピックがありました。
トイレットペーパーの買い占め騒動です。
どう考えてもトイレットペーパーの在庫は切れなさそうなのに、トイレットペーパーが無くなる!と騒ぎになっていたのが、2月の末ごろでした。
3月
世の中(日本での1日の新規感染者数は月末には100名超に。)
どんどんと日本での感染者数が増えていきました。このころにはダイヤモンドプリンセス号やチャーター便の存在は忘れ去られ始め、もう身近に迫った問題をどうするか、といった感じになっていました。
センセーショナルだったのが「選抜高校野球大会の中止」です。
3月19日から開幕予定だったセンバツですが、直前の3月11日に開催の中止を決定。
当時は「無観客」or「中止」といった議論も行われていました。
それに引き続き、ついに「東京オリンピックの開催延期」が決定されます。(3月24日)
東京オリンピックが延期になった前後には、誰がその費用を負担するのか(IOC?JOC?)といった議論や、会場は確保できるのか、といった議論が巻き起こっていました。
そして、3月最後の週末の28日・29日の外出自粛要請を東京都知事が発表しました。(なぜその前の週3/20~22の3連休を自粛要請しなかったんだ!という批判も出ました。)
感染者数がうなぎ登りになるのと同時に、数々のイベントの中止が決まっていき、ついには外出自粛の要請が出る、という流れになっていきました。
その中で志村けんさんの訃報が流れたのが3月29日です。
その数日前に志村けんさんのコロナウイルス感染のニュースが流れていましたが、多くの日本人にとって身近な存在であった志村けんさんの訃報は、コロナウイルスの怖さを日本人に理解させるものでした。
自分たち
3月の序盤はまだ危機感もそこまで大きくなっていませんでした。
しかし、センバツや東京オリンピックの中止を受けて、徐々に本当にやばい感が出てきていました。
それに伴い会社でも、どのように働いていくのかや4月以降の景気動向について議論することが多くなっていきました。お付き合いのある会社の中には、コロナウイルスの影響を直接受けている会社もあり、今後の見通しを立てるのが非常に難しさがあるなかで、4月以降の予算建てをしていました。
また、愛知県への出張も3月初旬~中旬は普通にしていましたが新幹線の乗客者数は徐々に減っていき、月末には在宅勤務する方向で調整を始めていました。
また、志村けんさんの訃報は私自身にもコロナの怖さを感じさせる1件として強く受け止めることになりました。
4月
世の中(日本での1日の新規感染者数は150名超~最大400名超まで)
4月7日、ついに「緊急事態宣言」が発令されました。
安倍首相が緊急事態宣言 7都府県対象 効力5月6日まで | NHKニュース
これにより一気に世の中がリモートワーク(在宅勤務)にシフトしていきました。
もちろん工場などの現場に行かないと動かない職場については、出社しています。
世の中の人たちが在宅勤務になっている中、テレビだけはいつも通りの映像が流れていましたが、ついにテレビ出演者も在宅勤務となり、Web会議でテレビに出演する形式に代わっていきました。
一方で、国会ではマスクもつけずに3密(密閉・密集・密接)状態で高齢者たちが大声で話しているという冗談を通り越した状態で議論をしています。
しかしついに安倍首相がマスクをつけ始めます。(アベノマスク)
4月1日に阿部首相が、1人2枚の布マスクを配布する!という対策を宣言しました。
それをアベノミクスにもじって「アベノマスク」と呼び始めました。
(しかし、2020年5月10日現在において46道府県には届いていないようです。)
アベノマスクは製造元が不明な会社がある・衛生管理が必要なマスクにも関わらずカビが生えている等の様々な問題も同時に露呈しています。
そもそもなぜ「布マスクなんだ?」という疑問の声も上がっています。
が、これについてはこれからの政策や結果次第で評価は変わる気がしています。
(とはいえ、はっきりさせるべきところはさせようよ、と思います。)
自分たち
4月から在宅勤務にシフトしました。
愛知県では感染者数が多くないことから出社してほしいと要望を受けることもありますが、東京からコロナウイルスを持ち込んでしまうリスクもあるため、慎重な動きをとっています。
在宅勤務を始めてみて色々な変化がありましたが、家の環境もいろいろと変わっています。(後述のリンクも良かったら見てください。)
体重は変わらないけど、明らかに筋肉量が落ちる、といった弊害も出てきています。
また、Web飲み会に初挑戦したのもこの時期です。
思いもよらない事態から在宅勤務が始まりましたが、徐々に慣れていった1か月、という感触です。
最初は楽しかったカップ麺生活も2週間くらいで飽きてしまいました。
一つ在宅勤務で良かったのは、奥さんのご飯をまともに食べられるようになったことです。これまで帰りが遅くなる等で外食して帰宅、という生活でしたが、結婚して5年目にして初めて奥さんの食事をまともに取れるようになりました。
dewahisashi.hatenablog.com
dewahisashi.hatenablog.com dewahisashi.hatenablog.com
5月
世の中(日本での1日の新規感染者数は300名超だったものが20名程度になることも)
GWがあったため非常に警戒感が強くなっていました。
感染者数は当初300名を超えていたのですが、徐々に減っていき20名程度となる日もあるほど感染者数は少なくなっていきました。
新規感染者数の減少に伴い、県によって差はありますが5/25までにはついに緊急事態宣言が全国で解除される、という状態となりました。
それに合わせるように当初3/20に開幕予定だったプロ野球の開幕日が6/19になることに5/25に決定しました。一方でその直前の5/20に戦後初となる夏の高校野球大会(甲子園)の中止が決定となりました。
世の中の雰囲気としては3月・4月のような非常に鬼気迫った状態では徐々になくなっていき、ゆるやかに「大丈夫な雰囲気」が醸成されていったという感触です。
世界の動きを見てみると、アメリカ・ブラジルでの感染者増が止まらず危機的な状況に陥りつつありましたが、ヨーロッパでの感染は多少落ち着きを見せ始め、5月中旬にヨーロッパへの旅行再開の計画を発表するような状態となりました。
自分たち
5月は相変わらず在宅勤務が継続している1か月でした。
4月にいろいろと試していた在宅勤務での働き方改革や断捨離も落ち着き、働き方の一つとして在宅勤務が受け入れられていくという感覚を持ち始めたのもこの時期です。
また、それと同時に在宅勤務が前提となりWeb会議が予定を埋め尽くす、ということも起き始めたのがこの時期です。Web会議の良い面は移動時間を考慮しなくてもよい点ですが、その分空き時間も無くなってしまうため、時間にゆとりが持たれず、非常に慌ただしい働き方になってしまう、というデメリットが分かってきた時期でもあります。
営業面を見てみると、徐々に新規案件が減少してき始めたと実感したのもこの時期です。既存のお客様からは継続して案件をもらえるという関係を維持していましたが、新規顧客では投資が止まり、新規案件が進まないという事態も発生し始めました。
世の中で徐々に緩和されて動きやすくなるという動きから1か月程度遅れて、影響が出てきたという感触です。
6月
世の中(日本での1日の新規感染者数は20名程度のこともあったが、後半には100名超に。)
5/25に緊急事態宣言が解除されても、すぐに感染者が増えることなく小康状態が続きました。それに伴い通勤通学も徐々に数が戻ってきました。街に人が戻ってきた雰囲気が徐々に醸成され始めました。
一方で東京では警戒姿勢は続き「東京アラート」という独自の基準を設ける等しながら対応を進めましたが、3密の象徴のような扱いとなっていたカラオケ店も6/19には営業可能となりました。
プロ野球も予定通り6/19に開幕を迎え、本格的にコロナ明けという雰囲気が出てきましたが、月末に近づくにつれて全国での感染者が増えていき、終盤には100名/日を超える新規感染者が出るようになりました。ただし最初の感染者傾向と異なり、高齢者の感染者が増えているのではなく、20代~30代の若年層に感染者が増える傾向が出てきました。
世界的にはアメリカ・ブラジル・スウェーデンでの感染者増が止まらず、コロナの震源地のような状態になりました。(こちらは1日に数万人単位で新規感染者が増えてきました。)
自分たち
世の中の流れに合わせて、徐々に在宅勤務の解除が進んでいきましたが、6月中は5月中に決めた予定が入っていたため、一気に在宅勤務解除とはなりませんでした。(途切れなく打ち合わせが入っている等で移動時間が無い前提での予定の組み方となっていた。)
月末になってくるとクライアント先に訪問することも出てきましたが、基本的には「たまに行く」くらいの感覚でした。クライアント先へ訪問することもあるけれど、仕事のスタイルとしては基本的には在宅を前提とした働き方が受け入れられていると実感した1か月でもありました。
また、プライベート面では、久しぶりにショッピングモールへ行くこともできるようになったため、買い物や映画鑑賞を楽しむこともできるようになりました。(各店舗ではソーシャルディスタンスの確保や消毒を徹底していました。)
個人的にうれしかったのはジブリ映画が映画館で再上映されたことです。
www.ghibli.jp
もののけ姫や千と千尋の神隠しなどは上映当時に映画館で見ていますが、それらの映画を再度映画館で鑑賞できるというのは、こういう状況でなければ実現できなかったと思うので、こんな状況ではありますが非常にうれしいことでした。(ナウシカは生まれる前なので、なおさら感慨深いものがあります。)
7月
世の中(日本での1日の新規感染者数は100名超から1500名超に。)
6月の後半から徐々に新規感染者数が増えていく状態にありましたが、7月に入ってからは感染者数拡大の勢いが増しました。
東京での感染者数も増加の一途を辿り、7月上旬は1日の新規感染者が2桁か3桁かという状態でしたが、7月下旬には1日の新規感染者が450名を超える状態にまでなっていました。
感染者数が全国的に増加する中で話題を呼んだのが「GoToキャンペーン」と呼ばれる旅行奨励の経済対策です。GoToキャンペーンでは経済対策としての効果を狙っていることは理解されるものの、感染者を全国に送り込む施策としてみなされており、連日GoToキャンペーンへの批判がネットニュースを賑わす状況となりました。(GoToキャンペーンの開始は2020/7/19~)
また、感染拡大のリスクから東京発着の旅行については対象外とすることをキャンペーン開始の1週間前に発表したことが、さらなる混乱を生みました。TVニュースでは、政府の方策に右往左往する旅行代理店の現場特集なんかも組まれていました。
国単位での対策が打たれないままGoToキャンペーンが開始されたこともあって、感染者が全国へと拡大していきました。その結果、各地方自治体で独自の緊急事態宣言を発令することとなり、国 VS 地方自治体の様相が見えてきました。
自分たち
7月の序盤はあまりこれまでの活動と変わらず遷移していました。
東京都内での移動もしていましたし、時折出張にも出かけていました。
しかし、7月の中旬ごろ(=感染が全国的に拡大していたころ)になると、自分の周りの人たちにも感染者が出始めました。直接触れ合っているわけではない(もしくはごく短い時間しか接していない人)ではありますが、感染者が出た影響により、再び在宅勤務へと戻ることとなりました。
私は、複数のお客様と接していたのもあって影響範囲が広く、安全を確保するためにも在宅勤務を前提とした業務となり、引きこもり生活が再び始まりました。
そのため、7月中旬ごろからはほとんど外出することもなくなりましたが、身近に感染者が出たと知る前に、東京ディズニーシーに行くことはできました。東京ディズニーシーでは人数制限やソーシャルディスタンスの確保にかなりコストは割かれており、「なんとしても感染者を出してなるものか!」という意気込みが、運営の中からも感じられました。
しかし、その後感染者が身近に出たことを知って、改めて今回の対応は難しいとも感じました。私は接している時間が短かったため、その後体調が崩れることもなかったのですが、見た目や雰囲気からは全く分からないウイルスのため、何らかの行動をしてしまったあとでは対処のしようもありません。
各自が十分に注意を払っていても感染してしまうウイルスなのだと再認識するきっかけとなりました。
8月
世の中(日本での1日の新規感染者数は1500名超から500名~600名超に。)
もはや日本における感染者増は止められないような状態でした。
7月から開始したGoToキャンペーンの手伝いもあって1500名超の感染者が出ている中、お盆休みに突入しました。しかし、徐々に感染者の数は落ち着きを見せ始め、東京においても500名/日⇒200名前後/日程度にまで減ってきました。
2020年の日本は梅雨明けが遅く(東京は8月頭)、その後酷暑が続いたこととイベントが開催されなかったことが原因してか、「なぜか」感染者は減少傾向となりました。
むしろ熱中症で亡くなる人の方がコロナで亡くなる人よりも多い状況でした。
それに合わせてか、TVやネットニュースでの報道も徐々に減っていった印象があります。
(これは私の感想ですが)日本全体でコロナに慣れていったのかもしれません。
自分たち
私自身は7月下旬に起きたコロナ騒ぎによって8月の1か月はほとんど家で過ごすことになりました。とはいえ、たまに買い物をする程度で外に出ました。
一方会社では、世間での感染者の増加を受けて会社の警戒レベルは1段階上がることになりました。
それ以外で言えば大きな変化があるわけではなく、外にもほとんど出ていない状態だったため、「酷暑って何?」という程度の感覚しか持たないまま1か月が過ぎました。
いや、本当に一体この1か月何していたんだろうか。。。
9月
世の中
(10月に更新予定)
自分たち
(10月に更新予定)
皆様へのお願い
随時情報は更新していこうと思っていますが、この時期にはこんなことが印象に残ってる!というものがあれば、ぜひコメント欄でお知らせください。
この記事を書いていて思ったのですが、やはり記憶はすぐに薄れていきます。
コロナウイルスのような未曽有な出来事は自分たちのためにも、後世のためにも生々しい情報も含めて残しておいた方が良いと思います。
ぜひコメント欄にでも印象に残った出来事を記載いただけると嬉しいです。
では。