今回は、教育関連の内容をお話したいかと思います。
私自身の興味関心は、10年前から日本の学校教育に向いていて、以前のブログにも書いてきましたが、改めて時代の変遷から見た時の教育のあるべき像をまとめておきます。
1.教育は時代の影響を大きく受ける
教育はその時の政治・情勢の影響を大きく受けて仕組みが作られます。
(本来あるべき姿か否かは置いておいて)
国が求める国民像になるよう教育が作られる、と言い換えることも可能です。
例えば、明治維新後の日本あるいは戦時下においては、国が求める国民とは、「国を強くするために、上からの指導を素直に受け入れ実行できる国民。」のようなものだと思います。
明治維新後には、富国強兵というスローガンのもと、欧米諸国にも対抗できるような強い国づくりが急速に求められ、戦時中には当時のトップが勝てると考えた戦略・戦術を実行できる人が急速に求められました。
そのため、上述のような国民像を描き、それに沿った教育が作り上げられました。
男性は軍人になるための教育を優先的に受け、(男尊女卑の考えも残る影響で)女性への教育機会の影響が薄いのも納得がいきます。(戦前でも女性への教育機会自体は提供されています。)
2.戦後~昭和の終焉までの変化
それでは戦後の教育はどのようなものだったか。
個人的には、戦前の名残を強く残した教育システムだと考えています。
というのも、国全体が貧しく、国全体としてなんとかして復興し豊かになっていくことが求められていました。(アメリカからの指示通り動く国を作れるようアメリカから強く要請(というか、指示?)があった、というのもあるでしょう。)
そのため当時の国民像は、「国を強く(豊かに)するために、上からの指導を素直に受け入れ実行できる国民。」となることは想像に難くありません。
国全体で同じ方向を向いて、求められることを愚直に実行していけば、物質的な豊かさが手に入る時代だったので、上記が求められることに合点がいくでしょう。
戦争が終わっても、人が急に変わるわけではなく、戦前教育から軍隊系訓練がなくなるだけで、求める国民像に大きな変化がないため、教育の根っこは変わっていないと思います。
そのころに作り上げられた詰込み教育にも納得がいきます。国民レベルの底上げが求められている中では、必要な措置だったと考えています。
また、その後の「一億総中流社会」の実現にむけて国民が足並みをそろえた教育となるのも、その時代の情勢を受けた教育の在り方には合っていたと思います。
3.バブルの崩壊とともに変わる教育
そのような教育を戦後~バブル崩壊ごろまで求められていたことには納得がいきますが、潮目が変わったのはバブル崩壊ごろではないかと考えます。
理由は以下の2点です。
- 物質的な豊かさが満たされてきた
- 消費の単位が個人にシフトしてきた
1.物質的な豊かさが満たされてきた
いわゆるマズローの欲求段階説ですが、バブル崩壊前後(あるいはもう少し前)には物質的な要求が満たされて、企業側の「みんなこれが欲しいでしょ?」的な社会は崩れ始めました。
これにより、国民共通のゴールイメージが無くなり、国が描く国民像が無くなっていったと考えています。
そのため、国としてもどんな教育を提供すればよいか分からなくなり、ゆとり教育に代表されるような迷走時代に入ります。(ゆとり教育に対する意見は別途書きます)
最近では、グローバル・ITというワードが出るようになりましたが、根本の解決にはなりません。国としてどんな人物を求めるのかを定義して、それに必要な教育を提供するのがあるべき姿ですが、それが無い(なんらか表現されているかもしれないですが)状態では必要な教育も出てきません。
また、各人にとっての幸福が一律で定義できない世の中では、そもそも国民のあるべき像を描くのすら困難だとは思います。なので、国が定義できるとしたら、「国民が幸せに暮らせるようにする」くらいのものではないかと。
2.消費の単位が個人にシフトしてきた
また、バブル崩壊後には消費の単位が個人にシフトしてきました。
それまでの消費の最小単位は家族(お父さんが決める!に代表される)でしたが、ポケベルや携帯電話の普及に象徴されるように、それまで家族で消費していたものが個人単位へ変化していきました。
その流れは今も続いており、最近ではゲーム機の個人化(ついに据え置き機までSwitichのような個人消費の時代へ)がなされました。
その結果、家族として最適なもの(=幸せにつながる)を選択する⇒個人として最適なもの(=幸せにつながる)を選択すると変化がなされたといえます。
4.まとめ
時代の変化・消費単位の変化から考察すると、各人が各人の幸せを定義して、それを実現することが必要だと考えています。
それが現代における国民像であり、それを実現するための教育が必要だと考えています。
では!