でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

【キャリア教育】幸せが個人によって異なる負の影響(デメリット)

Yahoo!ニュースで以下の記事がありました。

headlines.yahoo.co.jp

記事が消えちゃうとアレなので、簡単に要約すると、

中年女性Aさんの買い物中に、双子のお母さんBさんがベビーカーを使って買い物をしていたので、Aさんが邪魔だと文句を言った。最終的にはこんなことを言われたと。

「ねぇ? いつもこんな事をしているの? 人の迷惑って考えた事ある? そうやって双子で迷惑かける事分かってるんだからもう少しあたま使いなさいよ! 買い物する時すら預ける人いないの? 頼るところもないのに産むからこうなるのよ!」

あと、芸能人が何かSNS上で挙げるたびに毎回のように炎上する。他人のことが配慮できないのか?といったコメントが寄せられ、芸能人は謝罪に追い込まれる。

それってどうなの?ギスギス社会ニッポンになっちゃったの、という記事。

 

こういった人の気持ちに配慮することができないことが増えてきた、あるいは増えてきたと感じることも本日挙げた以下の「2.消費の単位が個人にシフトしてきた」に根本原因はあると考えています。(たまたまいい題材があったので、コメントします。)

dewahisashi.hatenablog.com

 

1.問いの設定

この議論では、おおよそ二つの問いに対してみんなが自由にコメントを出しています。(ニュースのコメントなんで、それで良いのですが。)

ただ、2つの問いに対して思い思いに書くがゆえに、なんだかそのコメントまでが他人に配慮できないような状態になってしまっています。(ただの悪口みたいなのもありますが。)

なので、まずは問いの設定から始めたいと思います。

  • 問1:なぜこういった他人のことを配慮できない人が増えてきたと感じるのか。
    ⇒量は増えていないけど、気づくようになったのではないか。という仮説。

あるいは

  • 問2:なぜこういった他人のことを配慮できない人が増えてきたのか。
    ⇒量が増えたから、気づくようになったのではないか。という仮説。 

2.問1に対する解

「問1:なぜこういった他人のことを配慮できない人が増えてきたと感じるのか。」に対する解は、

  • SNS・ニュース・ブログ等で個人の不快感を表現する手段が増えた。
  • また、その内容を簡単に大勢の人に共有する(シェア含む)手段が増えた。

という2つだと考えています。まぁ、おおむねそんなものじゃないかと。

昔も自己中心的な人はいたし、最近増えてきたわけでもあるまい。結局そういった情報が、一部でしか共有されなかった時代と比較して、今は情報共有が簡単なので、こういう状態になっているのだ!ということ。

それも一つな気がします。

ただ、上記のニュースで考慮すべきなのは、怒りを表している人の年齢だと思います。

これが若者や高齢者だけの話であれば、人は若いうちには自分の世界しか見えないから他人を慮れない、とか、人が年を重ねる中でそういった傾向が出てしまう、ということが言えると思います。

例えば、こちらも昨日大きく報道された歩道を自動車が通行していた、というもの。これは特定の年齢層に偏りが生じるので、昔も今も起きてたんだろうな、と想像できます。(厳密には、健康寿命が延びたことによる弊害とも考えられるので、数自体が増えているという仮説も立てられます。)

headlines.yahoo.co.jp

が、今回は年齢を特定できる要素は”中年女性”。加えて芸能人に対する不特定多数の”コメント”。となると、一定の年齢層の偏りがあるとは考えにくいので、数自体も増えた結果、気づきやすくなる、という可能性も棄却することはできないです。

3.問2に対する解

「問2:なぜこういった他人のことを配慮できない人が増えてきたのか。」に対する解は、

  • 幸せが個人によって異なる負の影響

だと考えています。

物質的な豊かさを手に入れ、個人消費にシフトした結果、個人ごとに幸せを定義して実現を目指す世の中になったことは、前回のブログで上げましたが、その結果が「他人に配慮することができない人が増えた」ということです。

もちろん時代に合っているという良い面もありますが、こういった負の面も出てきます。

少しだけ解説をすると、「個人ごとに幸せを定義して、その実現を目指す」というのは、「自分を第一にした超個人主義社会」と同義です。

要は、自己中に生きることが大切だ、と。

Aさんの買い物中に自分の邪魔をするBさんがいたら、Aさんにとっての幸せ=快適な買い物をするをBさんの存在によって妨げられたことになります。Aさんは幸せを目指して生きているので、Bさんの存在はもはや害悪となり、排除する動きを取ります。

それが今回のような記事の結果だと考えています。

 

4.まとめ

結論としては、最初に立てた仮説2つはどちらも正しいと考えています。(双方が関連しあって起きている事象。)

私が問題だと考えているのは後者側です。(自己中が増えたのは社会がそう仕向けているという点。)

ただし、人がこれまでに生存できた理由は”社会性”にあるので、自己にとってのみの利益を追求する行動を快く思わない人も多くいることでしょう。

現代は、人類にとって初めての物質的な豊かさを手に入れたあとの社会で、初めて「自己にとっての利益」を優先するのか、「社会にとっての利益」を考える必要性に迫られていると思います。(これまでは生きていくうえで、社会にとっての利益を優先せざるを得なかった。)

今後の日本では、このバランスを絶妙に取りながら生きていく必要があると考えているため、そういったことも視野に入れた教育の形が求められているのではないかと。

 

では!