これまでいろんな角度から考えている教育像や問題点について触れてきましたが、自分が真に考えていることは触れてきませんでした。
タイトルの通り
”意思決定しながら歩む人生”が送れるよう学生を支援をしたい。
と考えています。
今回はこう考えるようになった背景をお伝えしたいと思います。
私は愛知県一宮市出身で、大学まで愛知県で過ごしてました。
ごく普通の家庭だったので、その地域の学生と同じように、小中学校は地元の公立校に通い、高校も近くの公立高校に進学しました。高校は進学校だったので、周りと同じように受験をして、愛知県の国立大学に通うことになりました。大学では、サークルや大学祭の実行委員等で学校生活+αで活動しながら楽しく過ごしていました。
そんなときにあるキッカケから日々の生活を見直し、これからの人生の使い方を深く考えるようになりました。
一番悔やんだのは、「なんとなく生きてきたこと」です。
中学校⇒高校、高校⇒大学の進学時に、自分の偏差値と学校の偏差値・噂を基準にして、とりあえずこの学校に行っておくか、となんとなく学校を選択していました。
結果的に、選択した高校・大学には満足しているのですが、「なぜもっときちんと考えたうえで生き方を選択しなかったのか」と後悔しました。それができていれば、これまでの自分の時間をさらに有意義に使えたはずなのに、ということが頭から離れませんでした。
そのため、それ以降の人生は、きちんと意思決定をしながら生きていこう、と意思決定しました。
その結果、学生国際協力団体SIVIO 東海支部の立ち上げやその周辺活動を通じて、関東・関西の学生と接するようになったり、海外旅行にも頻繁に行くようになったことで、視野が一気に広がりました。
また、これらの取組の中で自分の人生を何に掛けるのか、どういう方向にいきたいのか、を考えていたこともあって、就職活動でもスムーズな走り出しができました。(結果論ですが。)
一方で、周りの学生を見ていると、これまでの同じように人生の選択をしているように感じました。
地元で有名な企業や地元の銀行等、自分の知っている範囲の企業から自分のレベルに合う企業を選択しているように思えてならず、また「なんとなく」で選択する様子に違和感を強く感じました。
もちろん、一人一人は一生懸命考えていると思いますが、考え方の根本が自分とはズレていることに違和感がぬぐえなかったのです。
その根底には、「人生をより良く生きる」ということへの執着度合いが違い、それを培ってきた文化がその差を生んでいるのではないかと考えました。
私の場合は、あるキッカケをもとに考えの根本を変えることができましたが、そのキッカケがなければ、おそらく同じように私も考えていたと思います。(その意味で、キッカケをくれた友人には非常に感謝しています。)
その違和感を取り除きたい、という個人的な欲求から、他者に対してどんなことができるか、を考えた結果、”意思決定しながら歩む人生”が送れるよう学生を支援をしたい。と心から思えました。
もう少し解釈すると、私は振り返った時に「なんとなく」生きていたことに気づき、それに対して「後悔」を感じました。
私は20歳の時に後悔を感じましたが、もし30歳で気づいていれば30年分、80歳で気づけば80年分の後悔が生まれる可能性があります。
その後悔を少しでも減らす方法が「意思決定」にあるのではないかと考えます。
もちろん誤った意思決定をした場合には、後悔が生まれる可能性はありますが、
「なんとなく」意思決定をした(=意思決定した、という意識すら無い可能性があります)のと、「きちんと考えて」意思決定したのでは、後悔が生まれにくいのがどちらかは自明でしょう。
それを自分だけでなく、できるだけ早いうちから意思決定できるようにすることが、世の中から後悔を減らし、幸せな人生を歩んでいくことにつながるのではないか、と考えます。
したがって、 ”意思決定しながら歩む人生”が送れるよう学生を支援をしたい。という私の目標につながります。
こう考えたことが、昨日のインドでの経験からの学びにつながっていきます。
また、この目標を実現するためのステージが、今の私です。
これが実現できるのが、どのくらい先の未来なのかは分からないですが、こういったことを実現するべく活動をしていきます。
少し長くなりましたが、以上が私が根本的に考えていることです。
では。