でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

24時間テレビの価値は募金額ではないと思う件

今年も24時間テレビが開催されましたね。

何か強いメッセージがあったから、開催したかったのか、
はたまた、コロナ禍だからこそ開催したかったのか、
あるいは、カネの成る木だから開催したかったのか、
その真意のほどは、テレビ局にいない私には分かりません。

そんな24時間テレビが開催される時期になると、必ず同じようなコメントがYahoo!ニュースなんかにはガンガン書かれています。

 

私自身は学生時代「チャリティー」活動をしてました。 かつてチャリティー活動に取り組んでいた立場から、少しこの件についてコメントしてみようと思いました。

 

どんな活動をしていたのか

そもそも私はどんな活動をしていたか、という点ですが、私は「SIVIO」という団体で1年半ほど活動していました。

 

【学生国際協力団体SIVIO】https://www.sivio.org/home

SIVIOでは、以下2つの理念に沿うような活動を国内でします。

ラオスへの教育支援』

『学生間にチャリティームーヴメントを起こす』

国内活動で得られたお金をもとにして、ラオスの小学校建設の費用として提供します。

(「学校建てっぱなし」とならないような仕組み作りもされています。)

具体的な国内の活動としては、以下のようなものです。

  • 募金のお願い(街頭やお店など)
  • 各種イベント企画・開催(フットサル・クラブなど)

 

とまあ、こんな感じの団体です。(少なくとも私が所属していた10年前はそうです。)

以下、以前のエントリです。

dewahisashi.hatenablog.com

 

 

24時間テレビの価値とは

24時間テレビでは、

  • 募金を使って出演者のギャラを支払うなんてクソだ!
  • 感動を作りたいだけの番組構成・演出なんてクソだ!
  • 障碍者を使ってお金を儲ける番組なんて偽善者だ! 

みたいなことがYahoo!ニュースやTwitterでは言われています。

 

似たようなことはSIVIOで活動しているときにしょっちゅう言われました。

1番言われたのはこれです。

『そもそもイベントでお金を取らず、自分たちのバイト代で学校建てろよ!』

 

 

(規模の差は大きいですが)24時間テレビでやってる活動もSIVIOでやっている活動も本質的に大きな差はないと考えています。

また、24時間テレビに対する意見を見ていると、世の中からの受け取られ方は大して変わらないなと感じます。

 

特に、24時間テレビでは、募金額やギャラなどの『お金に関する話題』が頻繁に議論になっている印象です。

 

 

世の中的には、チャリティー=慈善活動=身を削って活動せよ!という印象が強く、仮にチャリティーで利益を上げて懐に入れようものなら、世の中からはNGを食らいます。

少なくとも国内で活動するうえでは、チャリティー活動を運営する人が利益を得ること自体に拒否反応を示す人が多いです。

おそらくその根底には、寄付した人たちのお金は全額その組織の支援先(SIVIOで言えばラオスに渡すべき!という考えが強いのだと思います。
(お金を預けた人たちが良い生活をするのが我慢ならないという気持ちもあるかと。)

 

ただ、ここで一度立ち止まって考えてほしいのですが、それでは支援の継続性が失われます。

SIVIOの場合は学生が運営しており、SIVIOでの活動で生活費が得られなくとも生活できる土台がありますが、社会人が運営しようと思えば生活する土台が無くなり、アッという間に支援は止まります。

支援を受ける側の立場に立った時には、1度の支援よりも継続支援が必要です。
ラオスに小学校を建てたとて、その先の支援も自立化を考えながら進める必要があります。)

 

必要以上にお金を受け取る必要はないかもしれないですが、

慈善活動に関わる人は必要最低限の生活しか認めず、少しでも贅沢な生活をすることは絶対に許されない!という考えの方がよっぽど危険だと思います。

 

 

また、チャリティー活動に対して批判的なコメントをする人は、お金以外の価値を全く考えていないように感じます。

24時間テレビのようなチャリティー活動の本当の意義は「そこに困っている人がいることを伝える」ことにあると思います。

 

SIVIOでも理念の一つに『学生間にチャリティームーヴメントを起こす』と掲げており、チャリティーという活動について知ってもらい、活動してもらうきっかけを作る、ということを考え・行動していました。

 

SIVIOが無ければ、ラオスに触れることも・チャリティー活動に触れることもなかった人が、SIVIOを通じて触れる機会となっただけでも価値があると思います。

そこにどんな価値を見出すのかは人によって異なると思いますが、少なくとも私はそれがSIVIO最大の価値だと思っていました。(ラオスに小学校を建てるのは、むしろ副次的な効果くらいの気持ちでした。)

そういったキッカケを作ることで、それが別の支援に繋がる可能性もあります。

 

 

24時間テレビの真の価値も、ここにあるのではないかと思っています。

24時間テレビが年に1回あることによって、

  • 障碍者が身近にいることを知る
  • 自分にできる「何か」を考えるきっかけを作る
  • チャリティー活動そのものの存在を思い出す

といった効果が期待され、それこそが24時間テレビの価値だと思っています。

 

この効果に対する効果に意味を感じなかったり、寄付金額以外に価値を見出そうとしないと、24時間テレビで行われていることに違和感があるでしょう。

 

 

もちろん私も24時間テレビのすべてを肯定しているわけではないです。

  • 健常者が無理した距離を24時間かけて走り続ける自作自演系マラソン
  • そのマラソンの応援と称してスタジオでなぜか歌う人たち

なぜこんなことをやっているのかは、正直意味が分からないです。(視聴率につながるのかさえよく分からない。。けどきっと繋がってるから継続してるんですよね?)

あと、点字ブロックを防いじゃうテレビカメラとか論外です。

 

 

寄付金額・募金金額・ギャラといったお金だけが24時間テレビの価値ではなく、1年に1回チャリティー活動に意識を向けるキッカケ作りこそ真の価値ではないかと思います。

 

いろんない意見があるとは思いますが、私の立場としては上記のようなものです。

 

では。