でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

勉強の目的って何だろうか。妄想しながら考えてみる。

少し前に出ていた記事なのですが、これを読んで勉強の目的を考えました。

president.jp

私が受験した時もそうでしたし、最近の話を聞いていても同じ印象なのですが、「勉強=志望する学校へ入学するためのツール」としか考えられていないと思います。

勉強をすれば良い高校・大学に進学ができて、良い企業に就職できるよ!といった話を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

この話は・・・ 勉強=良い企業に就職するためのツールであり、勉強の目的は良い企業に入ることだ!と同義だと思います。 

たしかに勉強をすることによって(世間が言う)良い学校に進学すれば、その後の人生の選択肢が広がる可能性はあります。

ですが、必ずしも世間でいう良い学校には入れれば、その後の人生が幸せに安泰に送っていける、というわけではない点には注意が必要です。

 

では、「勉強の目的って何?何のために勉強ってするの?」と自分の子どもに問われたときにはどう答えるでしょうか?

多くの人は、上で書いたような回答をしている気がします。

ですが、上の回答はある意味では思考停止してしまっていて、それ以外の目的を考えていないから出している、という側面もあるかと思います。

改めて勉強の目的を考えてみたいと思います。

 

私がこういった解の無いテーマを考えるときには、その物事の根源を考えます。

ということで、今回も「勉強」の根源を掘りながら「勉強の目的」を考えてみます。

 

==ここからは全て妄想です==

勉強の根源は、やはり狩猟方法や木の実の収集方法、生活の仕方等を親から子どもに教えていくことから始めたのではないか、と想像します。

何も教わっていない子どもが大人になった場合、狩猟の仕方が分からず餓死するというのは目に見えています。そのため、親⇒子どもに教えます。これを子ども側の視点に立つと狩猟の仕方を「勉強」している、と言えます。

これは動物の世界においても同様なので、おそらく間違いないかと。

つまり、この時代の勉強の目的は「自分が生きるため」です。

 

その後、人類は文字を発明したことによって口頭以外での知識の伝承ができるようになりました。また、口頭での伝承から脱却することで、遠く離れた人へも伝えることができるようになりました。

そのため親⇒子ども以外の学習の手段が生まれ、子どもが学習することのできる幅が非常に広がりました。

おそらくこの頃には、効率的な食糧調達方法に加え、医学(占い?)・歴史といった学問に通ずるようなものも生まれてきたと予想されます。

ここまで来ると「未来にわたって人類が生きるため」に勉強の位置づけは変わっています。(もちろん、自分が生きるため、というのが第1の目的でしょうが。)

 

そこから、学問を追求する人は以下の2つに分かれていったと思います。

  • より効率的に人類が生き続けるために追求する人
  • 世の中にある不思議な事象を説明しようとする人

 この2種類は今にも続いていると思います。

 

一般人にとっては上記の2つなんてどうでもいい、というのが正直なところかと。「生きるため」というのが勉強の目的です。

しかし、生き方にも様々な種類が生まれてきました。特に貨幣制度の発展に伴い、貧富の差が明らかになっていき、人の間で優劣が見える化されました。

そうなると親としては、少しでも有利な(=人よりも優れた)状態で子どもには生きてほしい、と願うでしょう。

その結果、勉強をする目的が「子どもが有利な状態で生きられるため」に変化しました。

 

では、優劣の”優”の立場の人の視点、特に使用者側の視点で考えると、自分が雇う人は良い人であってほしいと考えるのは普通です。

従って、自分が雇う際の条件を決めていくことになります。初期段階においては肉体労働が基本なので「体が丈夫な人」「若い人」「指示された内容が理解でき、行動できる人」といった条件でしょうか。一方で、ホワイトカラー的な職業においては、中国の科挙試験のようなものでの成績上位な人といった条件を付けていたことは予想されます。

結果的に親が子どもに伝えるのは大きく以下の2つに分かれます。

  • 肉体労働で働きぬける頑丈な子どもを産み、その労働をさせてあげたい!
  • 科挙試験に合格できるように塾でも何でも入れて合格させてあげたい!

どちらも根源にあるのは「生きられるのは最低条件として、できれば優劣の”優”に入れるような子どもにしてあげたい」という親心です。

この後者が今の勉強の目的の始まりではないかと予想します。「科挙に合格できること=今後の人生をいい感じで歩めること」になり、今の考え方に近しいものです。

 

この点で重要なのは、この時点で「科挙に合格する」ことが目的となっているので、もはや科挙で何を学ぶか自体はどうでもよくなっています。

以前の勉強においては「学ぶこと=生きるためのツールを手に入れること」なので、何を学ぶのかは非常に重要でした。(陸に生きているのに、海の狩猟方法を知っても意味がない、とか。)つまり、勉強する内容に意味があった、ということです。

一方で、科挙時代では「学ぶこと=合格するため」なので、もはや学ぶ内容は何でもよくて、科挙に合格さえすれば内容なんてなんでもOKな時代になりました。

それゆえ、勉強の目的が短絡化してしまい、学んでいる内容そのものに対して意味を問われても答えられない時代が始まったと予想されます。

 

 

ここまで考えてきて感じるのは、もしかしたら今勉強している内容自体に意味なんてないのかも、ということです。

勉強はツールである、という冒頭に挙げた考え方は正しくて、勉強することに意味はあるけれど、勉強している内容に意味はない、ということです。

ただ、内容に意味があるとすれば、上述した「生きられるのは最低条件として、できれば優劣の”優”に入れるような子どもにしてあげたい」という親心の、「生きられる」という条件を満たすための勉強だけかもしれないです。(今の日本に照らし合わせれば、読み書きがある程度できる、四則演算ができる、とか)

 

まとめると、勉強する目的は2つある。

  1. 自分が生きるため。
  2. 優劣の”優”に入るため

それぞれの目的に提供できる学習内容は、ある程度共通的に教えられるのは1の目的まで。

世の中の価値観が多様化している今の時代においては優劣をつけることが困難なので2の目的については共通化できない。

といった結論な気がしています。

 

冒頭に挙げた「勉強の目的って何?何のために勉強ってするの?」に対しては、

「基本的なことは生きるために勉強する。あとはお前次第。」

 

さ、思ったよりアバウトな結論になりましたが、みなさんはどう考えますか?

では。

偏差値ってどう決まるのか。

学校のレベルを測る基準としての偏差値はどうやって決まるのだろうか、と疑問に思ったので、少し考えてみる。

 

偏差値の定義はWikipedia先生によると以下の通り。

ある数値がサンプルの中でどれくらいの位置にいるかを表した無次元数平均値が50、標準偏差が10となるように標本変数を規格化したものである。

分かるか分からないかギリギリのラインの表現です。

早い話、「その試験を受けた人の中でどのくらいの位置か」を表すものです。

ただし、これには前提があって、試験でのスコア分布に偏りがないことが前提となります。(100点満点のテストにおいて、50点付近に一番多くの受験者のスコアが集まり、50点以上・50点未満のいずれも100点・0点に近づくにつれて、少なくなっていくような山を描く必要があります。)

まー、今回は偏差値がなんぞや、ということを考えたいわけではないので、これ以上は割愛します。

 

で、大学ごとに偏差値って出ていますが、それってどうやって決まるのかな、と。

 

そもそもなのですが、偏差値って入学するうえでの学力の目安でしかない、という点が肝だと思います。

学校に入学してから卒業するまでの学力の向上度合いや進学先・就職先については偏差値には全く関係がない、ということを理解しておく必要があります。

 

また、偏差値は試験スコアの分布を表しており、試験難易度を表しているわけではない、という点も重要です。

受験時に利用される偏差値は、その学校に入学できる学生が、同一学年において相対的にどの位置にいるのかを表現しているだけです。(極端な話、他国において偏差値30と表現された学生が、別国に行けば偏差値70になる可能性もある、ということ。)

絶対的な能力を測る数値として偏差値は使えず、あくまでも相対的なものである点に注意が必要です。

 

では、学校側の視点、学生(親)側の視点、塾の視点のそれぞれで偏差値の決定要因を考えてみたいと思います。

 

学校側の視点

新規で作る学校であれば偏差値は決まっていないし、既存の学校であれば偏差値は決まっています。

いずれにせよまずやるべきは、どんな学生(=どのレベルの学生)に入学してもらいたいか、を考えることです。

そのためには、学校のポジショニングを考える必要があり、どういった社会的要求に答えるのかを深く考える必要があります。(既存学校であればすでに決まっていることも多いでしょうが。)

それに基づいて、入学試験では入学NGとなる下限条件を設定することが必要です。(本来であれば、求める学生像から乖離している学生は入学OKとすべきではないので、下限条件だけでなく上限条件も設けることが必要です。要は、無茶苦茶優秀な学生を入れない、という選択肢を持つ、ということです。)

 

そうすることで、ターゲット学生と試験内容に関連が生まれ、学校側が作る試験難易度が決まります。

ここで大切なのは、学校側は偏差値をコントロールできない、という点です。

(学校側が適切に学生を振るい落としていけば、ある程度コントロールできるかもしれないですが、狙っている学生が受験してくれるかどうかは別の話)

あくまでも、ターゲットとなる学生を定め、その学生らを評価できる試験問題を準備することまでしか学校側はコントロールできない、ということです。

地方自治体によっては学校側が問題を作れないケースもあるかと思います。

 

学生(親)の視点

現在の教育においては、学生は自身が行きたい学校を偏差値を参考にして進学先を選択しています。

もちろん、先進的な親や子どもであれば、偏差値以外の要素も使って進学先を選択しています。また、工業高校や商業高校、高専などの一領域に特化したような学校においては、(偏差値の影響もゼロではありませんが)偏差値以外の要素で進学先を選択しています。

では、偏差値に比重を置いて進学先を選択する場合について言及しますが、結論は簡単です。

自分の偏差値=学校の偏差値となるような進学先を選択します。

もちろんできるだけ頭のいい学校(=偏差値の高い学校)に行ってほしいと願うのが親心で、そのためには自分の偏差値をできるだけ上げてあげたい、と願うのが親です。

このような形で、学生(親)は偏差値の消費者(ユーザー)です。

偏差値は基本的に学校・塾から与えられるものであり、それを使うのが学生(親)という構図になります。(なので、学校や塾は偏差値を気にします。)

 

塾の視点

塾は、学校と生徒を結びつけるハブ機能を持っています。

短絡的な視点で言えば、塾の仕事は相対的に有利な立ち位置となるよう学生の学力を上げることが目的ですが、その学生が希望する学校に進学できるようにすることが本来のゴールでありその支援をするのが塾の役割のはずです。

そのためには、学生が相対的にどの位置にいるのかを明確にし、どの学校がその学生にとってマッチするのかを明確にする必要があります。

従って、塾の仕事で大切なのは、

  • 学生の相対的立ち位置を明確にする(=学生の偏差値を可視化する)
  • 学校の相対的立ち位置を明確にする(=学校の偏差値を可視化する)
  • その二つをマッチさせる

ということに尽きます。

大手の塾(河合塾代々木ゼミナール等)では、自分たちの模試を学生に受けさせます。(収益の確保という側面もあるでしょうが。)

(おそらく)その模試の結果を用いて、学生と学校の偏差値を付けます。

それにより、学生自身はどの学校を受験すれば進学できる可能性が高いのか低いのかを把握することが可能になります。

つまり、偏差値は塾が提供した模試を通じて学生・学校の偏差値を決定する。ということではないかと。

 

まとめ

受験者が毎年変わる以上、必ず偏差値は変わっていきます。

それに本来の偏差値という意味では、模試での結果を使った偏差値ではなく、試験当日の受験者と問題で学生・学校の偏差値を算出すべきなのですが、試験が終わった後に偏差値を気にする人はいないので、純然たる偏差値は誰も算出していません。

そんな偏差値に惑わされることなく、自分たちがやりたいことを実現できるような社会が作れる方が私は価値があると思いますが、いろいろな価値観や考え方があるので、すぐには変わらないでしょう。

そんな考え方を少しずつでも変えていけたらいいな、と思うので、ここでの情報発信や別場での活動をしていこうと思っています。

なお、ここで述べている内容は事実というわけではなく、私が考えただけの内容なので、その点はご注意ください。

 

では!

EFマウント(キヤノン)⇒Xマウント(富士フイルム)マウントアダプターを購入(Fringer FR-FX2)

久しぶりのカメラネタです。以下の商品を購入しました。 

 以前のこのエントリの中で少し触れていますが、デジカメのボディとレンズは、同じメーカーのボディ×同じメーカーのレンズしか組み合わせられません。 

dewahisashi.hatenablog.com

 そのため、キヤノンのレンズ(EFレンズ)を持っていても、私の所有している富士フイルムのX-T2に利用することはできません。

私は以前キヤノンユーザーだったのでEFマウントレンズの資産が残っています。

富士フイルムに変えて以降は、富士フイルム用のレンズ(Xマウントレンズ)をコツコツと集めてきましたが、EFマウントレンズも一部残っていました。(一部は売却)

そのため、EFレンズを使えるマウントが出ないかなー、と虎視眈々と狙い続けてきました。

 

今回Fringer(フリンガー)のFR-FX2という製品を選びました。

製品紹介ページには以下のような案内があります。

【主な特徴】

  • キヤノンEFマウントレンズの電子コントロール、AF撮影が可能(※EF-S規格のレンズにも装着可能)
  • マウントアダプター側の絞りリングで、絞り制御と撮影モードの切り替えが可能
  • レンズ内の手ブレ補正機構(キヤノン「IS」、シグマ「OS」、タムロン「VC」)に対応
  • 撮影した画像の焦点距離、露出などの情報はExifデータとして記録
  • コンティニュアスAF(AF-C)に対応
  • 「顔検出」「瞳AF」に対応
  • PC端末とのUSB接続で、ファームウェアのアップデート可能
  • アダプター内部の植毛加工により内面反射を制御

他にもいくつかEFマウントレンズ⇒Xマウントレンズへのアダプターはあったのですが、上記に記載の「AF撮影が可能」という要素がなかったり、マウントアダプター側の絞りリングでモードの切り替えが可能といった機能がなかったり、あってもうまく動作しなかったり、と満足のいくものではありませんでした。

技術的な本当の難しさは私には分からないのですが、マウントアダプターでは「AF(オートフォーカス)」の可否が大きな差となります。

なんとなく自分の頭で想像してみると、

レンズはキヤノンのボディを使うことを想定した作り込みがされているので、富士フイルムのボディを利用したときにキヤノン用のレンズが正しく電子的な制御がなされない、というのはアダプターの難しさとして想定されます。

 

ちなみに、AFが使えないマウントアダプターであれば、世の中には多く出回っています。

電子制御がなくなるので、本当にマウントのサイズを変更するためだけのものですが、そもそもAF機能が無いオールドレンズなんかを使う場合には、これで十分です。私もキヤノンのFDレンズ(キヤノンのフィルム時代のマウント)をいくつか所有していますが、FDレンズをアダプターを介してXマウントに利用する場合、当然AFは使えません。

 

実際に届いたアダプターの写真をいくつか載せます。

f:id:dewahisashi:20190610073204j:plain

こんな箱に入っています。

f:id:dewahisashi:20190610073233j:plain

製品には電子接点が付いています。(当然か。)

私が目下で利用したかったEFレンズは以下の2本でした。

これらのレンズはEFマウントのレンズの中でもAPS-Cセンサーでしか利用できないのですが、富士フイルムはすべてAPS-Cセンサーなので全く問題ありません。

  • シグマ Art 18-35mm F/1.8 DC HSM 
SIGMA 標準ズームレンズ Art 18-35mm F1.8 DC HSM キヤノン用 APS-C専用 210540

SIGMA 標準ズームレンズ Art 18-35mm F1.8 DC HSM キヤノン用 APS-C専用 210540

 

 

  • Canon EF-S ズーム 18-135mm F/3.5-5.6 IS STM 

 

 1つ目のSigmaのレンズは18mm~35mmとズーム倍率は高くないですが、全焦点距離でF1.8という非常に便利な大口径モデルです。キヤノンを使っていた時には非常によく利用していました。(重いのが難点なのですが。。。)

2つ目のCanonレンズは、現在のモデルより一つ古く決して明るいレンズではないのですが高倍率で、富士フイルムの純正レンズでわざわざ購入するのもなー、と思っていた焦点距離だったので、これで解消されます。

それぞれに取り付けた様子が以下の写真です。

f:id:dewahisashi:20190610073939j:plain

Sigmaの18mm~35mmに取り付けた様子

f:id:dewahisashi:20190610074011j:plain

Canonの18mm~135mmに取り付けた様子

予想通りではあったのですが、富士フイルムが考えているボディ+レンズのシステム本来のサイズ感からは逸脱してしまいます。特にシグマレンズのほうは、富士フイルムのシステムに慣れてしまっているせいもあり、重く・長い印象です。

とはいえ、実際に使用してみると、レンズとアダプターの接合部分も遊ぶことなくしっかりと取り付けられているし、AFもきちんと機能します(多少遅く感じることはあるが、きちんとピンともあいます)。

なにより絞りリングがアダプター側についているので、操作感が富士フイルムのレンズと同様なのが気に入っています。絞りリングは純正レンズのそれと比べると多少重たいので、完全に同じ印象ではないのですが、逆に言えば触ってしまって気づいたら変わっているという心配は少ないです。

まだ使用期間が短いので作例等はないのですが、アダプター一つで幅広いレンズが使えるようになるメリットは大きいため、富士フイルムユーザの方はご参考にしていただければと思います。 

では! 

 


 

2本目の万年筆の選び方とおすすめ万年筆3選

最近では、カクノラミーサファリなどの登場によって、以前に比べると万年筆が世の中に普及していると感じています。

実際に東急ハンズの売り場を見てみると、安価(1000円~3000円くらい)な万年筆がボールペンと同じように並んでいて、世の中に広く普及している感を身をもって感じます。

私自身が最初に万年筆を使うようになったのは中学生のころで、名探偵コナンに出てくる万年筆を見て「いいなー」と思ったのがきっかけです。

万年筆は金額もピンキリで上を見ればキリがないですが、当時(15年くらい前)でも百均で売っていたので、それをずっと使っていました。

 

社会人になってからはもう少し熱が上がったので、少し高価な万年筆を購入しましたが、やはり1つ購入すると2つ目が欲しくなってしまうのが万年筆の恐ろしいところ。。。

そこで、最近ではカクノやサファリを購入したけど、「やっぱり次の1本がほしい!」という人向けに、私自身の経験から後悔の少ない万年筆選びの方法をお伝えいたします。

 

ちなみに、世の中には万年筆を何十本と持っている人もいるので、どんなにすばらしい選択をしたとしても「おかわり」のもう1本という気持ちが起きてしまうものです。(私自身も数本所持・・・)

ですが、可能な限り「次の1本が最後の1本」となるような選び方をお伝えします。

 

 

自分が納得した1本を選ぶ。

後にも先にもこれに尽きます。

万年筆は高価なもので、外国産の万年筆(モンブランペリカン)を購入すると、一番安いものでも数万円することはザラです。

通常であれば、自分の予算に収まる万年筆を購入したいと考えると思いますが、発想を逆にしてください。

自分の納得した1本を選び、予算が足りないのであれば、購入できるようになるまで我慢して購入してください。

これができないと、自分にとって中途半端な万年筆を購入し、結局次の1本が欲しくなる、というサイクルに陥ります。

 

2本目が欲しくなる理由は、いろいろとあると思います。

  • 1本目が自分の思っている書き心地じゃなかった。(字幅が太すぎる・細すぎる、柔らかすぎる・硬すぎる等)
  • 1本目が少し安っぽく思えてきたので、”それ”っぽいやつが良くなった。(いかにもプラスチックが前面に出ているのは、かっこ悪い等)

そういった問題認識があると思うので、それらをガッチリ解決してくれる1本を選びましょう。自分のニーズがどこにあるのか分からないと、永遠に同じサイクルを歩み続けることとなります。

 

正直、実用性だけ考えると、このご時世に万年筆のメリットはそんなにありません。(そもそも文字を書く機会さえなくなりつつあるのですから。。。)

それは、万年筆が嗜好品であることを意味しており、購入する理由は自分の中にしか存在しないことを指しています。

いろんな記事で、いろんな人が、いろんな理由で、万年筆のメリットを語っていますが、そもそも「そこまで高いお金をかけて買う必要ある?」「ボールペンなら同じ金額で何本買えるの?」とか、買わない理由を考える方がはるかに楽なのに、万年筆を買おうとしている時点で、購入する理由ってそんなにないんです。

なので、自分自身が本当に必要だと感じている要素を明確にして、それに見合った万年筆を購入しない限りは「おかわり」が止まらない状態に陥ります。

まぁ、「本数を多く保持したい」というコレクション的な要望であれば、やむなしです。

 

万年筆ってそういうものなので、選び方は自分が納得したものを買う、以外にありえません。

そんな中ではありますが、万年筆選びの際に参考になればと、いくつかおすすめの万年筆をお伝えします。

 

趣味の文具箱」という万年筆好きなら読んでいるだろう雑誌の中で、何回も1位を取っている一品です。

これさえ買えば間違いない!という定番です。

書き心地も良く、所有欲も満たしてくれるので、基本的には何も不自由がなくなるはずです。(かつ金額もモンブランに比べれば安価)

 

ただし、外国産の万年筆のため、字幅はEFであっても国産のFもしくはMくらいのものになります。そのため、細かい字を書きたい人は、これを購入しても次の1本は止まらないでしょう。

 

そのため、細かい字を書きたい人向けには以下の万年筆をおすすめします。 

見た目も高級感があり、国産なので比較的安く、かつ細字がばっちり出ます。

ただし、装飾等はやはりペリカンには劣るので、所有欲という意味では少し物足りなさが出る可能性があります。

 

 

それでは物足りない!という人は、以下の万年筆はいかがでしょうか。 

金額は上がってしまいますが、ペン先はバイカラー(2色)で見た目も高級感があり、定番な色合いです。

ただし、本来であれば柔らかいペン先なので太字の方がフィットしますが、あえてEFやFを使うのもありかと。

 

なお、伊東屋のような大量に種類が揃っているお店に行って選ぶのが正直一番無難です。

店員さんも非常に詳しいので、その方たちに聞いて、実際に書いてみて購入してください。(試し書きの際には、必ず自分が普段使っている紙を持っていってください。)

 

本文の途中で書いたように、万年筆は嗜好性の強いもののため、一般的な法則は当てはまりにくいです。だからこそ、後悔の無いように自分がどんなものを求めているのかをしっかりと見極めてから、購入することをおすすめいたします。

 

では。

 

==2020/1/31追記==

プラチナ万年筆の”出雲”という万年筆を購入しました。

よかったら、以下のエントリから、どんな万年筆なのかを見てもらえればと思います。 

dewahisashi.hatenablog.com

 

日本初のイエナプランスクール(大日向小学校)の開校式に行ってきた。

少し前になりますが、4/27(土)に日本初のイエナプランスクール(小学校)の開校式(正確には「開校を祝う会」)に参加してきました。

 

イエナプラン?という方はこちらのサイトに詳しく書いてあります。

私もイエナプラン教育自体を詳しく把握しているわけではないので、素人の私が知っている範囲において、日本の小学校教育との分かりやすい違いは以下のような点です。

  • 複数学年が同一教室で授業を受ける。
    1~3年生、4~6年生と複数学年が同一教室で授業を受けます。
  • 子どもが学習計画を立てていく。
    教師(グループリーダー)から与えられた目標に対して、子ども自身が学習計画を立てて、それをもとに学習を進めていきます。
  • みんなで助け合って学習していく。
    先生⇔生徒のような教える側⇔教えられる側という形だけでなく、生徒⇔生徒のように従来の教育モデルでは共に教えられる側の立場でありながら、教える立場にもなりながらそれぞれの子どもが学習をしていきます。

 これらは目に見える違いですが、その違いを生んでいる根源として、イエナプランには20個の教育コンセプトがあり、実際にはそれらが従来の教育との大きな差を生んでいます。

 

今回、開校式にお邪魔したのは長野県佐久穂町にある大日向小学校です。 

www.jenaplanschool.ac.jp

2019年4月から学校が始まった、イエナプランを採用した日本初の認可小学校です。

まずはいくつかの写真をお見せします。(たくさん撮ったのですが、生徒の顔が写っているので、本当に一部だけしかお見せできないのが残念です。)

f:id:dewahisashi:20190508095331j:plain

開校式の様子(大日向小学校のHPから拝借しました)

f:id:dewahisashi:20190508095356j:plain

学校の門

f:id:dewahisashi:20190508095418j:plain

開校式の立て看板

f:id:dewahisashi:20190508095622j:plain

学校の外観

校舎は、以前に公立小学校として使われていた佐久東小学校を使っており、その当時の名残を随所に感じます。

f:id:dewahisashi:20190508095810j:plain

佐久東小学校の名残

ここで育った生徒の一人は大日向小学校でも働くようで、やはり学校は地域と連携しながら成長していくものなのだ、と改めて感じました。

また、開校式の途中でおばあちゃんと出会ったのですが、毎日の散歩で大日向小学校前を通るそうです。おばあちゃんは、佐久東小学校の時代も廃校の時代も知っており、大日向小学校ができたことで、再び子どもがあふれる元気な街となったことがうれしいとおっしゃっていました。

 

 

さて、ようやく開校式のお話です。

上に載せた写真にもあるように、雰囲気は通常想像する開校式とは大きく異なります。

通常では、壇上で誰かが話しそれを座して聞く、という形式だと思いますが、イエナプランの授業のように円になって話を聞くというスタイルで、とても新鮮でした。

 

開校式の中で印象的だった内容をいくつか挙げます。
※録音ではなく記憶を頼りに書いているので、厳密には違う表現かもしれないです。

 

■設立者である中正雄一さんの言葉

大学などの上が求める教育ではなく、子ども本来の個性を伸ばしたいから、小学校にこだわった。

私自身は、やはり社会が求めることを意識しながら教育というものを考える節があるので、この言葉は新鮮でした。

幼稚園や保育園で子どもの個性を尊重した教育を受けられたとしても、その先の小学校でそういった教育を受けることができない、という課題があることは認識していますが、中正さんの考えはおそらくそういった問題意識を背景にされているのかなと感じます。

私自身がビジネスの場にいることから”上”を意識した教育という考えが強かったのですが、子ども自身の個性を尊重しそれを伸ばしていく教育というのは私にとって新たな発見でした。

 

■日本イエナプラン教育協会特別顧問のリヒテルズ直子さんの言葉

生徒の皆さま、この学校は生徒の皆さんが育てる学校です。
この学校は見守って育てる学校。保護者は理解してください。
学校の先生方は張り詰めた気持ちでしょうが、失敗を恐れないでください。イエナプランでは失敗を許す教育なので、先生の皆さまも生徒にそれを見せてください。

イエナプランという教育を表している表現だと思います。

成長のためには失敗を重ねる必要があり、その積み重ねによって生徒自身が成長し、学校も成長していく。

そして、そういった成長を促すコンセプトなのがイエナプランだ、 とおっしゃっている気がしました。

 

JAS(イエナプランスクールの教師を育てる組織)の方の言葉

地理や数学や国語と分けているのは、大人の頭の中だけにすぎません。子どもは繋がりを感じられる。

たしかにその通りだなと思いました。

教育は大人が子どもに提供するものですが、子どもの考え方・捉え方をしっかりと理解しておかないと大人の都合で子どもへ教育をすることになるな、と当たり前ですが改めて感じました。

子どもを育てること。犬の散歩をするときに、きつくリードを持ってると、犬は学ばないし失敗しないし苦しい。リードを緩く持つことで、犬は失敗ができる。

リヒテルズ直子さんと同様に、イエナプランの考え方を表していると感じました。

たしかに子どもは放っておくといろいろな迷惑をかけたり、危ない思いをするかもしれないですが、ある程度の”ゆとり”を持っていないと失敗して成長する機会も奪ってしまうということを分かりやすく表現していると感じました。

 

こういった話をいろいろ聞くことができたり、イエナプランでの授業風景を見ることができたのは自身にとって非常に有意義な機会でした。

また、日本での学校教育界にとって大きなイベントに参加できたことも非常に幸運でした。

オルタナティブ教育に注目が集まっていますが、私自身は継続的にこういった学校や情報に触れながら、今後の日本にとって必要な教育を考えて行こうと思います。

 

 

最後に、大日向小学校と直接関係はないのですが、学校のある佐久穂町にあるこのドーナツ屋さんがおいしかったので、近くに行く際にはぜひ立ち寄ってみてください。

www.welcometomikko.com

では!

お金を払ってもできない経験から、お金を受け取る意味と責任を知った。

「旅の恥は掻き捨て」と言いますが、それを真に受けて私は旅行をします。

独りで旅行に行くときにはパッケージプランは使わず、往復の飛行機だけ確保して、あとは現地に着いてから心と体のおもむくままに自由に旅行することが好きです。(いわゆるバックパッカー的な旅行です。)

大学時代には、両親から「どこに行く予定なの?」と聞かれましたが、「分からない」というのが答えなのです。なぜなら、確保済みの飛行機以外、自分もどこに向かうのか分かっていないから。

そんな旅行を愛する人は数多くいますし、「旅行」じゃなくて「旅」なんだ!と強くこだわりを持っている人も多くいます。(個人的にはどっちでもいいけど。)

 

私がそんな旅行の仕方を好きな理由は、お金を払ってもできない経験を得られるからです。

 

旅行先では目に見えるところから一歩踏み込むと違った景色が多く見えます。

初めて行った海外旅行は19歳の時でしたが、ラオスで現地の方の家にお邪魔して初めて「レディーボーイ」とお会いした衝撃は今でも心に残っています。(日本ではそこまでオープンになっていなかったので。)

また、別の旅行(こちらもラオス)では、現地の人の家にホームステイさせてもらい、向こうはラオス語しか話せず、英語も通じない状況だったので、全力で伝えたい気持ちを日本語に載せて話していたら意外と通じた!という経験から、言語を超えるコミュニケーションがあることも知りました。

もちろん、そういった旅行にはリスクが伴うので、一見すればアブない体験かもしれません。(私は偶然安全に過ごすことができましたが。)

が、そういった経験を経たからこそ、日本にいただけでは分からない・見えない・知ることができない世界を見ることができたと思います。

 

 

インドは1か月の旅行でしたが、最後の訪問地はコルカタでした。

コルカタの前で経験した内容は以下のエントリをご覧ください。 

dewahisashi.hatenablog.com

 

コルカタへ移動する電車に乗るために、駅までオートリキシャ―(トゥクトゥク・タクシーのインド版)に乗りながら、歌を歌っていました。それも結構な大声で。

オートリキシャ―のスピード感や解放感も相まって、ものすごく楽しかったので、コルカタに着いた時には歌を歌いたくてしょうがなくなり、コルカタでは歌を歌おう!と決めました。

 

また、せっかくならド派手に歌ってみたい、という衝動にも駆られ、「リキシャ―(インド版の人力車)」に乗りながら歌うことでストリートパフォーマンス的な感じでやってみよう!と思い立ちました。

ストリートパフォーマンスですから、チップももらう必要があるし、そのためには宣伝も必要になります。なので、同じ宿泊先の人に声をかけてメンバーを集めました。

 

開催時の役割分担も決め、実行当日・・・

まずは自分を載せて走ってくれるリキシャ―の運転手を探します。

 

暇をしていそうな運転手に声をかけ、交渉に入ります。

「俺たちが今からリキシャ―の上で1時間、歌を歌って、お金を稼ぐから、その稼いだお金を1:1で分けよう!たくさん稼ぐのに協力してくれれば、お前もたくさん稼げるぞ!」

「いやいや、お前らが稼げるわけないんだから、100ルピーくれれば1時間一緒に回ってやる。それ以外は、いやだ。」

「違う!俺たちはお前と一緒に夢を見たいんだよ。インドの人たちが日本人が始めた謎のパフォーマンスをどう捉えてくれるのか。これはギャンブルかもしれないけど、夢にかけよう!」

「いやいや、無理だよ。100ルピーは譲れない。」

「うーん、仕方ない。じゃあ、100ルピーでお願いするよ。」

 

こんな調子で運転手は決まりました。あとは、実行するだけです。

コルカタの中心街をリキシャ―に乗りながら、私は歌を歌い続けました。

仲間は、宣伝をしてくれたり、チップを集めてくれたり、と。

ある仲間は、「He has a dream!!」とキング牧師ばりの宣伝をしてくれました。

f:id:dewahisashi:20190425133748j:plain

歌を歌っている様子

歌っているのは全部J-POPで、伴奏もないのでアカペラ状態です。(イヤホンで歌を聴きながら、その歌を口に出すという、なんとも即興な感じです。)

そんなパフォーマンスにも関わらず、インドの人たちは面白がってくれて、チップは集まり、中にはリキシャ―の後ろをついて回ってくる若者たちもいました。

1時間ほど歌い、リキシャ―の運転手との約束の時間が来たので、パフォーマンスは終わりました。

 

さすがに1時間もやっていると、私の声は枯れ、仲間たちも疲れの様子がありましたが、チップは全部で600ルピーほど集まり、私の旅行では1日200ルピーあれば生活できたので、かなりの金額感でした。

とはいえ、もともと歌をド派手に歌いたいだけで、お金を稼ぐことが目的でパフォーマンスをやったわけではないので、私の仲間も同意で、運転手にすべてを渡しました。

 

その後、街を歩いていると、私は町のちょっとした有名人になっていて、よく分からない日本人がなんか面白いことやってた、と声をかけてくれる人が多くいました。(客引きではないです)

私たちも実行したこと自体にもインドの人の反応にも満足し、夜は盛大に飲み会を開催しました。

 

 

 

飲み会も終わり、ゲストハウスに帰る途中に、またインド人のおじさんから声をかけられました。

「今日、昼間にリキシャ―の上でパフォーマンスをしていたやつか?」

「そうですよ!」

「面白かったよ、あのパフォーマンス。俺もお前たちにチップを渡したよ。笑
ところで、集めたお金はどうしたんだい?」

「結局、協力してくれたリキシャ―の運転手に全部上げたよ。」

「なんだ、自分たちで使わなかったんだ。なんぜ運転手にあげたんだい?」

「もともと100ルピー上げることは約束していたし、俺たちはお金を稼ぐつもりじゃなかったから、1時間頑張ってくれたリキシャ―の運転手にあげることにしたんだ。」

「そうか、、、それはちょっと残念だ。。」

「えっ、なんで?」

リキシャ―の運転手はインドの中では貧しい人たちとは言えない。貧しい人たちって、お前たちも見てきただろうけど、道でお金を求めてるような人たちなんだよ。インドは難しい社会で、一回あそこに行ってしまうと浮上するキッカケがない。だから、俺はお前たちが集めたお金をどこに使うのか、そういった人たちに使うのか、興味があった。」 

 

この話を聞いて、ハッとしました。

自分たちはリキシャ―の運転手と稼げるかどうかを”賭け”ていました。

一方で、おじさんは自分たちがどこにお金を使うのかを”賭け”ていました。

おじさんの言う使い方が正しいかどうかは分からないですが、おじさんの言っていることは正しいと思いました。

自分たちの目線だけで、楽しむためにお金を稼ごうとしていた自分たちですが、そのお金の使い方に期待をしている人たちがいるということは全く考えていませんでした

むしろ、自分たちで使うことなく、インドの人たちに還元しているので、いいことをした!くらいの感覚で捉えていました。

しかし、お金を渡してくれた人たちは自分たちのお金を日本人預けることで、そのお金がどう使われるのかを期待してくれていました。

なぜ、そんな風に期待をかけてくれていたのかは分かりません。変な奴らだから、何かしてくれる、という期待を抱かせたのかもしれません。

 

この体験から、お金を受け取るということは、使い方も含めた期待を受けとる行為なのだと強く体感しました。

もちろん、バイト等を通じてお金を稼ぐ経験はしていましたが、稼いだお金の使い方に指摘をもらうことなんてありませんでした。この件も自分たちが動いたことで集めたお金なので、指摘をもらうこともなかったはずなのですが、偶然にも非常に深い学びを得ることができました。

この時のお金の使い方は期待されていたものと違ったかもしれないですが、学んだ今であれば、意識した使い方をすることは可能です。

 

この時のお金の使い方は反省をしましたが、思い付きでも歌ってみて本当に良かったです。自分が積極的に動かなければ、こういう経験・学びを得られませんでした。

お金を払ってもできない経験。

これこそが旅行の醍醐味だと私は思っています。

では。

ゲームボーイから見える平成時代に起きた世の中の変化

ゲームボーイが30周年を迎えたようです。

www.4gamer.net

私は1988年12月生まれなので、ほぼ同級生なんですね。

 

私も、この世代に生まれた人の例に違わず、ゲームボーイにはめちゃくちゃお世話になりました。

ゲームボーイゲームボーイポケットゲームボーイカラー、くらいまでは小学生だったので、これほど遊んだものはない!というくらい遊び倒しました。

ゲームボーイアドバンスくらいから中学生になったので、徐々に離れていきましたが。

 

ゲームボーイでは、

他にも実家に帰れば大量にソフトが出てくると思いますが、強く思い出に残っているのは、このあたりです。

 

ゲームボーイ誕生は平成の間に世の中が辿ってきた変遷を象徴するものだったのではないか、と考えています。

 

私は、ゲームボーイのなかった時代を知らないのですが、ゲームボーイの誕生したときに世の中を一世風靡していたゲーム端末はファミリーコンピュータだと思います。

1988年にはドラゴンクエスト3が発売され、学校を休んでドラクエを買いに行く・ゲームをやる、といった問題まで生じたと聞いたことがありますし、そのくらい世の中へ影響を与えるようなコンテンツとして認知され始めたのが、ゲームボーイ誕生のタイミングなのだと思います。

そんな時代の動きがあったなかで、カートリッジ交換式のゲームボーイが出たことにより、世の中に携帯ゲーム端末も広がっていく流れになったのだと想像しています。

 

それは一家に一台だったゲーム端末が、一人一台に変わっていった時代だとも捉えられます。

ビジネス観点から見れば、消費単位が家⇒個人に移ったことにより、消費量の拡大に成功した最初のモデルと言えるのではないでしょうか。

兄弟でポケモンの交換をしている人も多かったと思いますが、ファミコンであれば一家に一台しか売れなかったところを、一人一台に拡充することで二人兄弟であれば一家に二台売れるチャンスが生まれた、とも言えます。

 

大人の間には携帯電話が普及し始め、一家に一台の電話⇒一人に一台の電話、という変化が起きている一方で、子どもの間では一家に一台のゲーム⇒一人に一台のゲーム、という変化が起きていました

そして、その流れは平成の30年間で加速していきました。

冒頭にも少し触れたようにゲームの世界では、

と進化を遂げながら、個人向けのゲーム端末は進化していきました。さらに言えば、これまでは明確に線引きされていた家庭用端末と携帯用端末の区別もNintendo Switchの登場により曖昧になりました。

また、電話の世界も、携帯電話(フィーチャーフォン)⇒スマホ、と進化を遂げ、最近ではゲーム端末とスマホの境目もかなりぼんやりとしてきており、数年後にはその境目は無くなるのではないかと考えています。

 

こういった一家に一台⇒一人に一台というような、消費主体の単位が個人に近づいてくる流れは平成において断続的に起きていたと考えます。

平成初期は、家庭に必要なものを家単位で考えて購入していた時代でしたが、今では個人が必要とするものを個人が考えて購入する時代となりました。(平成初期は想像ですが。)

この変化を表す象徴的な商品が、ゲームボーイだったのではないでしょうか。

 

そんな風に世の中が変化しているので、それに合わせて教育も見直した方が良いのではないかと考えています。

それについては、以下のエントリを書いているので、よかったら見てください。 

dewahisashi.hatenablog.com dewahisashi.hatenablog.com

 

にしても、こんなことを書いていると、久しぶりにゲームボーイがやりたくなる。 

 

 では。