でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

【レビュー】プラチナ万年筆の「出雲」は非常に使いやすい万年筆だった!

年末年始は、普段よりも休みの期間が長く、かつ年が変わるということを除けば、普段の休みとなんら変わることがない生活を送ることは非常にたやすいものです。

しかし、年が変わるということが自分に影響してか、あるいはそれに便乗して年末年始の商戦を繰り広げる商店・TVの影響なのか、少し気持ちが開放的になるものです。

そんな開放的になった気持ちから、買ってしまいました。万年筆。

 

ここ数年は万年筆の購入意欲はそこまで大きくなく、趣味の文具箱を読んでいて少しほしい気持ちが生まれてもサッっと気持ちが収まっていました。

万年筆の沼にはまっていたころは、自分にとっての究極の万年筆を探す旅にひたすら出続けている感覚がありました。

国産を試し、舶来物を試し、ペン先の太さを変えてみたり、ペン先をスチール・金と行ったり来たりしてみたり。

結局書き心地が一番だよね!と思ったのもつかの間、デザインが好みの万年筆に出会うと、「いやいや、やっぱりデザインも捨てきれない!」と思ってみたり。

万年筆を好きになってしまったことがある人なら、この辺の気持ちは共感してくれると思います。まだ万年筆にハマりきってない人は、こういう衝動に駆られてしまう魅惑の品物であることを認識しておいたほうが、良いと思います。笑

 

 

本題に戻りますが、以前からじわじわと気になり始めていたのが今回購入したプラチナ万年筆の出雲というシリーズの万年筆です。同僚で万年筆にハマった子がいて、その子と万年筆談話をしていたことも少なからず今回の購入に影響しています。

 

あーだこーだ言う前に、まずは万年筆の写真をいくつかお見せします。

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万年筆1本とは思えないサイズの箱に入ってます。

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白い箱を開けたら、桐箱が出てきました。出雲のロゴも載ってます。

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箱を開けるとこんな感じ。万年筆はペンケースに包まれています。

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ペンケースから万年筆を出してみました。こんな感じでシンプルな見た目です。

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ペン先はバイカラーになっています。首のあたりの色合いがきれいです。

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サイズは結構大きいです。(左から、フリクションジェットストリームペリカンM800・出雲)

 

今回万年筆の購入にあたっては、以下の要件で探していました。

  • ビジネスの場でも使うことができる(=装飾が華美すぎない)
  • 細かな文字が書けるように細字
  • 軸は木製もしくは漆塗り
  • 10万円以内(安ければ尚良し)

まぁ、ぶっちゃけてしまえば、買う理由は後から考え始めたところもあります。

当初はペリカンM800のブラウンブラックの限定デザインが出たので、そちらに興味を持ちました。(M800のすばらしさは知っていますし、趣味の文具箱で表紙を飾っていたこともあり、かなり興味を持ちました。)

が、実物を見てみると少しチープな印象を受けたので、もう少し重厚なイメージのものがいいなぁ、と思い始めたところから、木製や漆塗りの万年筆が対象になってきました。

細字が欲しかったので、外国産の万年筆は対象から外し、国産に絞っていたこともあり、プラチナ万年筆の出雲の購入に至りました。

対象製品を決めるにあたっては、中屋万年筆も検討の俎上には挙がりました。中屋万年筆に対する憧れはずっと持っているので、いずれ購入するかもしれないですが、私の欲しかったモデルが予算をオーバーしていたので、今回は断念。

また、パイロットのカスタムURUSHIも対象に入りました。細字を書きたいのでニブ(ペン先の金属部分)は大きすぎず・硬めがよいのに、URUSHIは大きすぎる・柔らかすぎるという点と、出雲のほうが漆塗りの濃淡があり、そこにわびさびを感じたという点から、URUSHIではなく出雲に軍配が上がりました。

このような結果、今回出雲の購入に至ったという次第です。

 

 

プラチナ万年筆の細字(F)と言えば、太さはだいたいお分かりかもしれないですが、一応ノートに書いてみた結果を載せます。

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狙い通り細いので、細かな文字も書きやすいです。

参考までに、ほかの万年筆やペンも一緒に書いておきました。

この万年筆は、キャップを本体の後ろにつけることができない(傷がつくため)のですが、本体のみでバランスがよいです。私は手が大きいので、手の小さな女性だと少し大きすぎる可能性はありますが。

あと余談ですが、SAKURA Craft_labはインク乗りがどうしても悪いですね。いろいろな紙と相性を確かめてみましたが、どうしてもカスレが出てしまうので、出番は激減しています。(はずれを引いてしまっただけですかね?)

なお、今回使用している紙はトラベラーズノートの無罫リフィル(003)です。 裏写りはもちろんありません。

 

最後に、今回万年筆の購入に合わせてインクも調達しています。

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ヤンセンのバッハというインクです。黒寄りの茶色といった色合いです。

ヤンセンというあまり聞き慣れないメーカーかと思いますが、インクの品質は非常に良いのでお勧めです。(少し高いのですが、本体価格を考えるとこの差はどうでもいいです。気に入ったやつを使いたい。)

 

 

年末年始の陽気な気分に乗って思わず散在してしまいましたが、非常に満足してます。

デザイン・書き心地・持ちやすさといった観点から、持っている万年筆の中でもトップクラスです。

割と沼にハマった人でないと手を出しにくい万年筆かと思いますが、上記に挙げたような要件で万年筆を探している人はぜひ一度見てみてください!

 

 


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 では!

たいていのものは人が作ってるんだから、その人たちと合わなければ合う場所に行けばいい。

最近ふとそんなことを思います。

 

一日の生活を見てみると、

  • スマホのアラームで朝起きる
  • 朝ご飯を食べる
  • スーツを着る
  • 家を出る
  • 電車に乗る
  • コンビニでコーヒーを購入する
  • 会社のオフィスに到着する
  • PCを使って仕事をする

と、ようやくオフィスに到着して仕事をし始めたところですが、ここに出てくるほとんど人間が作ったものです。

スマホ、アラーム、布団、ベッド、朝ご飯用の食器、スーツ、家、電車、コンビニ、コーヒー、会社、オフィスビル、PC、仕事

とここに書いたすべてが人間が作ったものです。

ここに出てきた中で人間が作っていないものは、土地(地球)、人間、(食事の内容にもよりますが)ご飯くらいでしょうか。

 

そんなことを最近「すごいなぁ」と思いながら生活しています。

 

人間が地球に生まれた時には、人間が作ったものなんて当然一つもありません。

その後、縄文時代になると、住宅や土器を作るようになり、弥生時代に入ればお米を作るようになります。

日本以外の地域では、そのころにはもっと壮大なものを作っています。

エジプトに行けば、ピラミッド。中国に行けば、万里の長城。文字なども人間によって作られています。

人間が0⇒1を生み出すことができるため、人間は無数に発明をして生活を豊かにしていったのだと想像されます。

 

それと同時に、目に見えるモノだけでなく概念も発明していっています。

人間の大発明であるお金や人間の心に根付く宗教です。

しかし、概念はそれが生まれた地域によって別のものが生まれるという点が目に見えるモノとは異なります。

お金も宗教も、別の地域で同じものが発明されることはありません。(目に見えるモノは地域の気候やそこにある素材が違うため、結果として別のものが生まれることはあります。)

 

その後、産業革命を経ると、機械や電気の発明等もしていき、現代につながります。

結果、冒頭の私の生活のように、人間が作り出したものをもとに人間が生活をしていくようになりました。

余談ですが、最近、農業などに”戻る”生活を始める人も増えていると聞きますが、それは人間が作ったものからの脱却ともとらえられます。

 

そんな人間が作った世界の中で生きていることを不思議なことだと感じました。

 

少し目線を変えると、人間が作ったものが無いなかで人間が生きていた時代があったことを考えると、そこまで今の世界に捕らわれる必要もないかなと思います。

例えば、受験でうまくいかなくたって、就活でうまくいかなくたって、所詮はその世界にいる人たちが作ったものでしかなく、その世界以外にも生きる道があると思えば、多少の苦境は大したことが無いように感じます。

 

また、前述したように概念(ルールや常識)は生まれた場所によって大きく異なります。

そして、現代の人たちが、生きづらさなど苦しい思いをしているとしたら、それは今の世の中にある概念(ルールや常識)が苦しめている可能性があります。

今、自分が置かれている環境のルールや常識によって苦しい思いをしてても、そのルールや常識すら数年前に作られたものであり、絶対的な概念ではなく場所によって変わるものだ、ということは記憶に留めておいてほしいな、と思います。

これまで私自身もいろいろな組織を作る過程に参加させてもらい、組織内のルールを作ってきましたが、最初にルールを作った私とは大きく異なり、後から参画してきたメンバーはルールを「前提(=変えられないもの)」のように捉えていたことに驚いたことがあります。

 

作られた概念は、その組織で大切にしていることを概念に落とし込むため、作った人たちの価値観を強く反映します。

別の組織に行けば大切にしていることは違うため、当然ルールも異なります。

 

今いる場所で作られたものがすべてだとは思わず、ぜひ別の場所に行ってみてください。

大切にしたいポイントが自分とは違うのに、同じ場所にいるのはつらいですから。

 

では。

外国人が青色のボールペンを使う理由って知ってますか?

社会人になってからは、海外旅行に行く機会も減ってしまいましたが、学生の頃はアジアを中心にいろいろな国に旅行しに行っていました。

いわゆる「バックパッカー」というやつです。

その当時もそうだったし、去年タイやカンボジアに旅行に行った際にもやはりそうだったのですが、ゲストハウス等の記帳時には青色のボールペンを使いますよね?

 

昔から疑問でした。

日本では当たり前のように黒色のボールペンが使われているし、逆に言えば黒じゃないボールペンがスタンダードって、日本では考えられないなと。

そのくらいどこに行っても青色のボールペンを使っている印象でした。
(もしかしたらアジアだけかもしれないですが。)

 

そんな話を台湾・インドネシア出身の同僚と話をしていたところ、その答えのヒントとなるものがありました。

 

その回答はのちほどお伝えしますが、まずは自分がどう考えていたのかを。

 

仮説①:青色ボールペンが非常に安い

私が見ていた世界はアジア(特に東南アジア)中心なので、経済的にそこまで発達した地域ではありません。(ましてや格安ゲストハウスに宿泊していましたし。)

そのため、一番単純なのは安いことかなと。

もともと万年筆なんかではブルーブラックが昔から使われていたし(理由が知りたい方はこちら。ブログですが端的でわかりやすい。)、製造技術が成熟している分、きっと安くできるんだろうなぁ、と。

その結果、青色ボールペンを購入するんだろうなぁと。

まーしかし、日本では黒も青も赤も同じ金額で売られているので、正直この説はあまりなさそうだな、と思っていました。。

 

仮説②:目立たせたいから青色を使う

日本では、普通のときは黒、強調したいときは青や赤を使うのがスタンダードだと思います。(学校の授業でそう習ったし。)

その文化が海外にも浸透しているのだとしたら、あえて黒を使わず青を使っているという可能性も残ります。

基本的には黒を使うのだけど、ゲストハウスの記帳では青色の方が目立つからいい!みたいなことではないかと。

これは即時に思いつく反対説がないため、一旦保留。

 

 

 

そんなに真剣に考えるテーマでもなかったので、このくらいしか仮説は考えていませんでした。

では、海外出身の友人と話した結果はどうだったか。

 

 

 

 

学校で使っていたペンが青色だったから。

特にテストの時は必ず青色のボールペンを利用するそうです。

この時点で日本とは2つの違いがあります。

 日本: 黒色 + シャープペン(もしくは鉛筆)

 海外: 青色 + ボールペン

海外で青色のボールペンを利用するのは、書いた内容を消せないようにすることと黒で印字された紙上で目立つようにすることにあるようです。

それが当たり前だから、青色のボールペンを使っているのではないか?ということでした。仮説②がかすっているような感じの回答です。

 

外国人が青色のボールペンを使う理由としては、教育過程の違いから大人になった時に使われるボールペンの色が違う、ということでした。(もちろんこれは一つの説。)

 

また、テストのときにボールペンを使うのも私にとっては意外でした。

限られた紙面で、ボールペンなんて使ったら、見込みが甘くて書ききれなくなったときに非常に困るはずなのに。。。

 

 

上記以外の理由としても、以下のようなものがあるようです。

日本ではあまり見かけない青で書かれた書類も、ヨーロッパなど印鑑よりサインを重視する文化圏では、コピーと原本を色で区別するために「青」で書くのが主流だそうです。

(中略)

日本は墨文化なうえに、印鑑の有無でコピーと原本を区別するため「青」で書く文化が根付かなかったとのこと。

(出典:https://www.kouyama.club/2017/09/13/vol1/) 

これは、さっきの説とは違い、日本だけが独自の進化を遂げたという説ですね。

この説であれば、日本の文化の輸入元である中国がどんなペンを使うのがスタンダードなのかが気になってきます。 

 

ちょっとした違いですが、こういう違いを感じられる海外旅行はやはり楽しいもので、ぜひ今年も行ってみたいです。

では。

2020年に実現したい3つの目標

新年、明けましておめでとうございます。

新年ということで、心も新たに1年間の目標を考えてみたいと思います。

2019年に立てた目標3つと達成度はこんな感じでした。 

1.今の仕事に全力で取り組み、コンサルとしての力を大きくつける。
  ⇒ 達成度:〇
    これまでに取り組んだことのない領域にチャレンジし力が付いた。
    けど、満足できるレベルだったか、というとやや疑問が残る。

2.中小企業診断士を取得する。
  ⇒ 達成度:×
    勉強はしていましたが、受験することなく終了。
    本気で取りたい、取らなきゃならないと思っていなかったようです。

3.引っ越しを無事に終わらせる。
  ⇒ 達成度:◎
    無事終わりました。

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振返ってみれば、有限不実行という格好の悪い感じになりました。

その意味で2020年に立てる目標は必ず実現します。
(ある意味、それが最初の目標。)

 

 

では、本題です。まずは大きなテーマからです。

2020年は教育に関わるためのホップ・ステップ・ジャンプの「ステップ」の時期です。

2019年のホップ期には、着実に目立たないことをやってきましたが、2020年は助走を加速させていきたいと思っています。

具体的には、想いの発信行動です。

2019年は仕事・プライベートを通じて想いを発信することの重要さを強く感じました。

実行できるスキルがあるかといった問題ではなく、発信し続けることによる影響の大きさやその力強さを改めて感じました。

発信し続けることによって実行できるスキルがある人たちが集まる瞬間も見てきました。

私自身はもともと想いを発信することが得意でしたが、スキルの不足を痛感しそれを身に着けるためにもコンサルタントとしてゼネラルなスキルを身に着けてきました。

しかし、10年コンサルをやっているとスキルに目が行きがちで、想いの発信をろくにしないまま今に至ってしまっていた、ということに気づきました。

そこで、改めて想いの発信をしていきたいと思います。

しかし、発信するだけでは何も生まれないため、行動もしていきたいと思います。

これまで培ってきたコンサルとしてのスキルを一度捨てるような形になるかもしれないですが、自分の人生を前に進めるために一度今までの自分を否定しながら、いつか融合する地点が来ることを信じて、想いの発信と行動をしていこうと思っています。

 

 

では、具体的な目標です。

1.優先度高:2021年から始動する予定の教育への携わり方を具体化します。

これまでは「こんなこともいいなぁ」とか「あんな形もあるなぁ」とか、緩く考え続けてきました。しかし、もっとはっきりとした関わり方を作り上げようと思います。

現時点では未定な部分が多いのも現実ではありますが、どういったことができるのかをいろいろな人に関わりながら明確にしてきたいと思います。

そのためには、自分が何を社会に与えたいと思っているのか(想い)を磨く必要があります。したがって、それも同時に行いながら、2020年の年末には教育への携わり方を具体化したいと思います。

 

2.優先度高:断捨離します。

プライベートな目標です。私は小さいころから、興味関心が移りやすく、基本的に集中力散漫です。そのため集中と選択が非常に苦手です。

プライベートでもモノが多くなりがちなので、心を鬼にしていろいろ断捨離します。

これらはモノだけでなく、時間についても同様です。

時間・モノを断捨離することによって、仕事・プライベートのどちらも好循環を生み出していきたいと思います。

 

3.優先度中:英会話ができるようになります。

仕事で使いたいわけではないです。

教育を考えるにあたって、海外の事例を把握できたり、考え方を学ぶことができるといいなと思っています。なにより、外国人と話すのは文化や育った環境が違うので、日本人とは全然違う考え方だったりして、それがとても面白く感じます。

しかし、教育に直結するか?というと、かなり疑問が残るため、優先度は中です。

さらに言えば、できればまた海外へ行って、いろいろ見て・学びたいです。

 

 

冒頭にも書いたように今年立てた目標は必ず実現します。

2の断捨離によって生まれたバッファ(余裕)を1や3の目標に当てていくようなイメージを持っており、実現できるのではないかと思っています。

しかし、自分ではコントロールできない周りの変化も当然起きるので、それらに備えて準備しておくことが、より一層重要になるのではないかと考えています。(それゆえに、2がどれだけ徹底できるかにかかっているのかも。)

 

そんな私を2020年もよろしくお願いいたします。

では!

 

アナログ手帳売り場が賑わってますが、これってどうなの?

年末に差し掛かるとほぼすべての本屋・文具店では「紙の手帳」が販売されます。

もちろん本屋・文具店以外にも、東急ハンズやLOFT等の小売店でも売り場面積のかなりを占めるくらい、手帳メーカー・小売店が力を合わせて販売しているのが、紙の手帳です。

 

最近では、スマホタブレットがかなり浸透しているため、スケジュール管理自体はもはや紙の手帳で行う必要性は薄れています。

スマホでもできることを、わざわざお金を払ってカバンを重くしてまで、紙の手帳を持ち運んでいるのが現在です。

 

そんな私もこよなく紙を愛する一人であり、手帳の中でも最大級の重さを誇るシステム手帳A5サイズを常に持ち運び、日々筋トレをしているのです。 

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紙の手帳のメリットを挙げればいくつかあります。

例えば、

  • パッと見ができるので、スマホに比べて見やすい
  • サッと書きができるので、スマホに比べて書きやすい
  • 紙に書くという行為自体が良い

みたいなところでしょうか。

 

しかし、私も細かなスケジュール管理はGoogleカレンダーで全て済ましており、紙を持ち運ぶ必要ってあるのか?と自問自答に陥ることも多々あります。

(そのため、自由度の高いシステム手帳を使っているわけですが。)

正直、紙の手帳のデメリットを挙げる方が簡単です。(スマホとの比較です)

  • 紙の方が重たい
  • 常に持ち運んでいるとは限らない
  • 予定が変わるたびに、消したり書いたりしてめんどくさい
  • パッと書ける!といっても、スマホの方が絶対早く取り出せる
  • ヒトと予定の共有がしづらい

などなどです。

紙の手帳を愛用している立場ではありますが、もはや嗜好品だと思ってます。

なので、スマホタブレットがどこまで進化しても持ち運んでいるんだろうなぁと。

 

 

そんな紙の手帳にも関わらず、手帳売り場が拡大しているのはどうなのか、、、と思ってます。

(紙好きの立場からすると、各メーカーからいろいろ出るのは楽しいのですが。。。)

 

まず単純に需要量よりも多くの数を作っていることは間違いなく、かなりの数が廃棄されているはずですし、それらのコストは販売単価に上乗せされています。

 

手帳の特殊性は、賞味期限がある文具品という点にあります。

今で言えば、2020年向けの手帳が販売されているのですが、このタイミングで2019年や2018年の手帳が販売されたからと言って、購入する人はいません。

手帳メーカーの立場では、2020年向けの手帳の販売数を伸ばすために、在庫切れを起こさないよう、かなりの数が生産されています。(これはもう売り場を見れば明らか)

つまり、起きるのは在庫過剰な状態となり、当然売れ残りが発生します。

通常の文具品であれば、いつか売れると在庫を各店舗で抱えることもできますが、手帳は先の理由により、在庫を抱えることができないため、メーカーへ返却するかたたき売りするかの2択になります。

在庫過剰が起きることを見越して、販売単価を上げておくのは、メーカーの立場からすると当然だと思います。

 

 

また、手帳のフォーマットは通常の文具品に比べて多い、という点も特殊です。

通常のノートであれば、大きく横罫・方眼・無地にサイズ(A4・B4・A5・B4)の組み合わせくらいがフォーマットの最大数です。

しかし、手帳には、

  • マンスリーカレンダーの有無
  • マンスリーカレンダーの表現(ブロック・ガント・一覧)
  • ウィークリーカレンダーの有無
  • ウィークリーカレンダーの表現(レフト・バーティカル
  • その他ページ(駅路線図有無、ノート有無、読書記録有無など)

といった違いが、サイズやデザインごとに設けられています。

人によって異なる使い勝手に対して、良い手帳を目指すと、バリエーションはかなり増えていきます。

これらを1冊の手帳として作り上げていくと、普通のノートに比べてかなり複雑な工程をくみ上げた生産が求められることが予想されます。

それらのコストも、当然販売単価に上乗せされているわけです。

この観点は、明らかにデジタルの方が強いところなので、本当に紙の手帳はめんどくさいと思います。

システム手帳は組み換えが可能なので、ややデジタルちっくですが、販売数量が多くない分、単価に上乗せされており、システム手帳のリフィル(中の紙)は高価です。

 

 

紙の手帳のメリットデメリットのようなものを前述しましたが、メーカーにとってもめんどくさいのが紙の手帳、というのが本音ではないかと思っています。

かつ、メーカーにとってのめんどくささは販売単価に上乗せされているので、消費者目線でも嬉しくないのが本来のはずです。さらに言えば、過剰在庫による廃棄(実際はリサイクルされているかも)も起き、謎のコストが生じます。

 

書いていたら、いっそのこと全員デジタルにしちゃえばいいじゃん、と思ってきました笑

 

が、メーカーがそこまでして販売しているのには、何等か理由があるのでしょう。

紙の手帳の販売数量の経年データが見つかりませんでしたが、「紙の手帳は売れる」という理由があるのでしょう。

しかし、こんなにデメリットだらけの紙の手帳を買い続ける日本人は、もはや謎です。

そして、私自身もその謎の中にいるのです。

令和になっても残る7不思議の1つと捉えながら、その慣習が令和の終わりになっても残っているかを楽しみに待ちたいと思います。

最近は、デジタル⇒アナログへの逆移行も流行りつつあるので、令和の終わりにも残っているかも。

 

みなさんは、来年の手帳を買いましたか?

 

では!みなさん良い新年を!

令和元年(2019年)を振り返る

はてなブログにブログを移設したのが2018年の年末なので、早いもので1年が経ちました。

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現時点では、ほぼこのブログは2019年の記事しかない状態ですが、合計57個のエントリを作成しました。

更新頻度の高い時期・低い時期はありましたが、だいたい週1ペースで書いていたことになり、思ったよりも継続していた自分に驚きました。

 

まぁ、ブログを書いている自分の頑張り(?)なんてどうでもいいのです。

 

2019年を振り返ると「変化」の1年でした。

とはいっても、自分の変化というよりは自分の周りの変化です。

これは自分では全く予期できない(アンコントローラブルな)ことです。

ですが、それらが自分自身に影響を与えられていることも事実です。

 

そのあたりを深堀してみようかと思うのが、今回の主題です。

 

そもそも自分にとって、2019年は自分の変化の兆しを作り始める1年、と考えていました。

いつか詳細に記載したいと思っていますが、現在はコンサルタントとして働いているところから、2021年ごろには教育関連に携わる働き方にシフトしていきたい、と思っていました。

2018年時点の自分から見た時の3年後、という感じです。

3年の過ごし方を考えると、最初の1年は助走期間といった位置づけです。

つまり、2019年は教育関連に携わる働き方にシフトする第1歩という感じです。

 

実際、ここに向けていくつかの活動も行ってきました。 

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 これらは象徴的な感じですね。

教育というテーマにど真ん中で応えているものです。

 

これ以外にもいくつか活動をしていましたが、まだまだ活動量・質の双方から見た時に、「まだまだ」という感じが否めないのも事実です。

 

そんな自分とは対照的に、人間関係を含めた周りの環境はいろいろと変わりました。

  • 自分自身の引っ越し(賃貸⇒持ち家に)
    これによって自分の家の中の環境が変わったことはもちろん、家の周りの環境が変わったため、休日の過ごし方も大きく変わりました。
  • 相次ぐ会社同僚の退職
    会社で親しくしていた先輩・後輩の退職が相次ぎました。
    その中には、居住地域を国内で変えたり、国外に行ったりといろいろありますが、それぞれの人たちの人生の過ごし方が大きく変わるレベルの分岐点だと思います。
  • 周りの人の結婚
    自分がすでに結婚しているのではありますが、結婚した人たち同士からすると、も人生が大きく変わるような分岐点になっていると思います。

自分自身の引っ越しを除いて、周りを見ていると人生に影響を及ぼすレベルでの意思決定をして、それぞれの人生を歩んでいます。

自分がいる会社は人の出入りが多い会社(業界)ですし、年齢的にも結婚する人が多いのですが、2019年の目標に自分の変化を挙げていたせいか、考えさせられました。

 

これらの変化は、自分自身そのものが変わっているわけではないため、振り返りとしては物足りなさを感じざるを得ないところはあります。

しかし、周りの人たちから様々な影響を受けながら自分の人生が変わっていくのだとしたら(それも当たり前っちゃ当たり前か)、それも面白いなと思いました。

来年は、さらに自分の変化を加速させて、生きていく1年になると思います。

そのあたりは、年明けにでも書いて行こうかと思います。

 

では。

「あたらしいしょうがっこうのつくりかた」を読んだ感想

以前に、日本初のイエナプランスクール(大日向小学校)の開校式に行ってきた、という記事を書きましたが、その小学校が作られていく過程を書いた本を読みました。 

 大日向小学校のHPはこちら

 

以前にMakuakeでプロジェクト化されており、それに申込んでいました。

www.makuake.com

 

2冊申込んでいたものが届いたので、さっそく読んでみました。

作者の想いを正確に伝えられないため、一部引用はしますが、書籍の細かな内容は記載しません。
(内容が気になる方には申し訳ないです。)

今回は、これを読んだ私の感想を中心に書きます。

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届いた書籍の写真


開校を祝う会に参加させてもらったことからわかるように、私自身もこの学校にはわずかばかり関与しており、今回の書籍化は楽しみにしていました。

”わずかばかり”というのが肝で、私は本当に一部しか学校が作られる過程を知らないため、その前後に何があったのか、どんな想いがあって作られたのか、といったことを知ることを、非常に楽しみにしながら、本書を読み始めました。

 

 

一番強く感じたことは、

学校を作り上げることへの想い・熱量の大きさ

でした。

 

本には、

  • 著者の経歴(イエナプランとの関り等)
  • イエナプランとは何か
  • 学校建設に至るプロセス・大変なポイント(特に地域との関り)

といったことが書かれているのですが、全章を通じて感じたのが想いの大きさです。

 

「自らの出身地じゃない場所に、小学校を作り上げる。」という一見すると無謀に思え、実際にやってみると非常に困難な取組を遂行していくためには、想い・熱量が大きくないと成し遂げられないのだ、と言い換えることが可能です。

私もプロジェクト実行・推進を生業として働いているので、一般的な社会人と比べると一日の長がありますが、学校を作り上げることを一つのプロジェクトとして見た時に、求められる能力は大きく違う、と感じました。

 

私のような仕事で求められる能力は、ゴールを定義したり、スケジュールを引いたり、品質を高めたり(基準を下回らないようにしたり)、予定通りにプロジェクトを進めていくような能力で、「スキル」に該当するものだと思います。

一方で、今回のような大きな取り組みを実現する時には、多くの人を動かしていく必要があります。本書でも

一人で学校を作ることはできない 

と述べられ取り、学校内部の関係者・関わる業者・佐久穂町の行政・佐久穂町の地域の人たちなどとの関わりなくして学校はできず、多くの人を動かす必要があります。

そんな人たちを巻き込み・動かしていき・実現にたどり着くためには、想いの大きさが必要なのだと感じました。それを平たく言ってしまえば、「マインド」に該当するものだと思います。

スキルとマインド(あるいはマネジメントとリーダーシップ)のような表現を使うと、すごく薄っぺらい気がしてしまいますが、私が感じたのはマインドの大きさ・発信することの大切さです。これを無くして、複数の関係者を巻き込んでいくことは不可能だったのだろうと想像されます。

もはや想い・熱量が多ければ、細かいスキルなんてどうでもいいじゃん!と思うくらいに、何かを成し遂げたいという強い想いが大事だと感じさせられました。

 

本の感想とは少し外れてしまいますが、私個人として、強い想いを持つ必要性は、今年に入ってから感じることが多々あります。

不思議とそういう出来事が自分の中で重なり、本書からも同じように感じたのは、何かのきっかけかな、と。

 

 

次に、学校を新しく作る情報が詰まった本が世の中に出たことのは非常に価値が高い、と思います。

学校が新しく設立されることはありますが、その中でどんなことが行われているのかが説明されているものは多くありません。設立する人にとっては、1度きりのことなので、次の人に向けて知識・経験を残しておこうと考える人が少ないことが原因だと思います。

じゃあ、口伝で伝えていけばいいじゃんという話なのですが、学校設立の経験者も多くない実情を考えると、本書は新しく学校を作る人たち向けのガイドラインになると思います。(現在50歳以上くらいの人たちだと、若かりし頃に新しくできた学校に入学した経験を持つ方は多いようですが、さすがに作ったことはない。)

事実、学校設立にあたってのタスクを一覧化しようと思い、参考情報を集めた時期があるのですが、なかなか参考となるものが見つかりませんでした。

書籍のタイトルがそれなので、この価値は当たり前なのかもしれないですが、これまで当たり前にありそうな参考情報が多く出回っていなかったことを考えると、この書籍は有難い情報が集約されたものだと思います。

 

 

最後に、設立時には地域を本当に大切にする必要がある、ということを感じました。
(一つ目の内容とやや重なりますが。)

大日向小学校を作った方々が共通して、地域との関係を非常に大切にする、と考えていることが書籍を通して伝わってきます。

それを無くして大日向小学校は設立できなかった、というメッセージにも受け取れます。

本書の中にも

「学校が地域から無くなる」ということは、地域がだんだんと小さくなっていくことにつながり、それくらい「学校」という存在は地域に大きな影響を与えてしまうものだ

という記述があり、学校周辺地域に対する責任感を背負って、学校づくりに携わられたのではないかと感じます。

学校の役割は、学校にいる生徒への学力向上のみならず、地域コミュニティづくりにも一躍買っていたことを、改めて感じました。

 

 

今回この書籍を読んで感じた大きなポイントは、こんなところです。

イエナプラン・新しい学校づくり・大日向小学校のことなどが書かれているので、興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

あたらしいしょうがっこうのつくりかた

あたらしいしょうがっこうのつくりかた

 

 

参考:日本イエナプラン協会

www.japanjenaplan.org

では。