でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

たいていのものは人が作ってるんだから、その人たちと合わなければ合う場所に行けばいい。

最近ふとそんなことを思います。

 

一日の生活を見てみると、

  • スマホのアラームで朝起きる
  • 朝ご飯を食べる
  • スーツを着る
  • 家を出る
  • 電車に乗る
  • コンビニでコーヒーを購入する
  • 会社のオフィスに到着する
  • PCを使って仕事をする

と、ようやくオフィスに到着して仕事をし始めたところですが、ここに出てくるほとんど人間が作ったものです。

スマホ、アラーム、布団、ベッド、朝ご飯用の食器、スーツ、家、電車、コンビニ、コーヒー、会社、オフィスビル、PC、仕事

とここに書いたすべてが人間が作ったものです。

ここに出てきた中で人間が作っていないものは、土地(地球)、人間、(食事の内容にもよりますが)ご飯くらいでしょうか。

 

そんなことを最近「すごいなぁ」と思いながら生活しています。

 

人間が地球に生まれた時には、人間が作ったものなんて当然一つもありません。

その後、縄文時代になると、住宅や土器を作るようになり、弥生時代に入ればお米を作るようになります。

日本以外の地域では、そのころにはもっと壮大なものを作っています。

エジプトに行けば、ピラミッド。中国に行けば、万里の長城。文字なども人間によって作られています。

人間が0⇒1を生み出すことができるため、人間は無数に発明をして生活を豊かにしていったのだと想像されます。

 

それと同時に、目に見えるモノだけでなく概念も発明していっています。

人間の大発明であるお金や人間の心に根付く宗教です。

しかし、概念はそれが生まれた地域によって別のものが生まれるという点が目に見えるモノとは異なります。

お金も宗教も、別の地域で同じものが発明されることはありません。(目に見えるモノは地域の気候やそこにある素材が違うため、結果として別のものが生まれることはあります。)

 

その後、産業革命を経ると、機械や電気の発明等もしていき、現代につながります。

結果、冒頭の私の生活のように、人間が作り出したものをもとに人間が生活をしていくようになりました。

余談ですが、最近、農業などに”戻る”生活を始める人も増えていると聞きますが、それは人間が作ったものからの脱却ともとらえられます。

 

そんな人間が作った世界の中で生きていることを不思議なことだと感じました。

 

少し目線を変えると、人間が作ったものが無いなかで人間が生きていた時代があったことを考えると、そこまで今の世界に捕らわれる必要もないかなと思います。

例えば、受験でうまくいかなくたって、就活でうまくいかなくたって、所詮はその世界にいる人たちが作ったものでしかなく、その世界以外にも生きる道があると思えば、多少の苦境は大したことが無いように感じます。

 

また、前述したように概念(ルールや常識)は生まれた場所によって大きく異なります。

そして、現代の人たちが、生きづらさなど苦しい思いをしているとしたら、それは今の世の中にある概念(ルールや常識)が苦しめている可能性があります。

今、自分が置かれている環境のルールや常識によって苦しい思いをしてても、そのルールや常識すら数年前に作られたものであり、絶対的な概念ではなく場所によって変わるものだ、ということは記憶に留めておいてほしいな、と思います。

これまで私自身もいろいろな組織を作る過程に参加させてもらい、組織内のルールを作ってきましたが、最初にルールを作った私とは大きく異なり、後から参画してきたメンバーはルールを「前提(=変えられないもの)」のように捉えていたことに驚いたことがあります。

 

作られた概念は、その組織で大切にしていることを概念に落とし込むため、作った人たちの価値観を強く反映します。

別の組織に行けば大切にしていることは違うため、当然ルールも異なります。

 

今いる場所で作られたものがすべてだとは思わず、ぜひ別の場所に行ってみてください。

大切にしたいポイントが自分とは違うのに、同じ場所にいるのはつらいですから。

 

では。