でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

なぜ、いちいち他人の言動に対してネット上で非難するのか。

 昨日こんな記事を書きました。

分かりやすいものしか愛せない我慢できない現代人 - でわひさしの日記

そこでは、なぜ人が怒りやすくなったのか(=キレやすくなったのか)について言及しましたが、1つ答えていない内容があります。

 

「なぜ、人は他人の言動に対してネット上で非難するか」

 

上記のエントリで「怒っていることが表面化して見えるようになった」ということは書きましたが、なんでいちいち表面化させようと思うのか、は触れていないです。

その点について言及しようと思っていたところ、私の敬愛する内田樹先生のブログでまさにその点について触れていたので、引用しながら私の意見を述べたいと思います。(主に前半部分を中心に使っています。)

 

↓この記事です。

blog.tatsuru.com

この記事では、そもそもなぜインターネット上では匿名の書き手が多いのかについて触れています。

 

そこに内田先生が触れる理由は、内田先生自身が以下のルールを課しているからです。

それは必ず固有名で発信し、自分の発言については責任を引き受けるということ

このルールを設けた理由は、

  • 自身が記載した内容が、誰もまだ述べていないようなオリジナルな学術的知見を発見する可能性があり、その知見のプライオリティ(優先権)が自分のものになるから。

という極めて単純明快なものです。

つまり、内田先生が匿名で情報を発信しないのは、

  • 自分の考えたことが、誰も考えていない世の中に意味のあるアイデアである可能性がある。
  • また、そのアイデアは自分のものとなる。

という理由からです。

 

これ自体は「まさにその通り」というもので、このメリットがあるにも関わらず、

なぜ匿名でしか情報発信をしないのか、という疑問に行きつきます。

それに対しては以下のように分析されています。

知的所有権のもたらす利益が大きいであることが予測される場合、人はふつう匿名を選択しない。だから、匿名者が知的所有権(いやな言葉だが)を主張しないのは、合理的に推論すれば、自分が発信しているメッセージが知的に無価値であるということを彼ら自身が知っているからである

気持ち良いくらいぶった切っており、思わず膝で手を打つとともに、自分のブログを匿名にするのはやめようか、と考えるようになりました。(まだどーするのかは検討中です。会社員ですし。)

 

その次に内田先生は以下のように話を展開しています。

「知的に無価値なこと」を書くことによっても、やはり彼らは何らかの「利得」を手に入れていると考えなければならない。

彼らは「他者の逸失利得」を自分の「売り上げ」に計上しているのである。 

自分自身には直接的利益をもたらさないけれど、他者が何かを失い、傷つき、穢されることを間接的利益として悦ぶという言論のありようを言う適切な日本語がある。
「呪い」というのがそれである。

 これを見て、思わずゾッとしました。

おっしゃっていることは非常によくわかります。

人が動くためには、何らかのメリットが無いと動きません。他人の不幸を動機づけとして動く、というのは非常に寂しい気持ちです。

が、「呪い」自体は何百年も前から存在することを考えると、それが人間の本質なのでしょう。

 

ここまで内田先生に展開してもらえれば、「なぜいちいち他人の言動に対してネット上で非難するのか。」は、9割5分は答えが出ています。

残る問いは、「なぜネット上で非難をするのか」だけです。

しかし、これももうほぼ答えが出ています。

 

 

呪いをかけるときに、相手に顔を見られたいですか?

 

 

では!