でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

自由研究を難しく考えすぎでは?題材・テーマより大切なことってあるじゃん。

社会人には特段関係のない話題ですが、8月も終わりに近づき学校の世界では夏休みが終わろうとしています。

そんな時期だからか、自由研究の記事が挙がっていました。

www.news-postseven.com

私自身が小学生の時には、自由研究の宿題を課された記憶がなく、自由研究に困ったという経験はないのですが、小学生くらいの親世代と話をしていると何をやらせて良いのか分からないので困る、という話を聞きます。

私の経験とも一致するので、記事にあるような自由研究を手っ取り早く済ませるためのキットを購入し、子どもにやらせる、と親が考えてしまうのは理解できます。

親側の考え方には、「それでいいや」と思っている人もいれば「仕方ないけどこれでいこう」と思っている人もいると思います。

前者の人はさておき、後者の人からすれば

「せっかく自由研究という思考力を育む機会があるにも関わらず、それをやらせないなんて思考力成長の機会損失だ!」

なーんて言われても、

「分かってるよ。これだけが宿題じゃないんだし、終わらせることを優先するためには、仕方ないんだよ。」

というのが本音な気がしています。

 

でも、自由研究ってそんなに難しくない、ってことを今日はお伝えしたいと思います。

 

なんで自由研究が難しいと思ってしまうのか。

そもそも「難しい」と感じなければ、そんなに心理的なハードルが上がって、手を付けるのが遅れる、なんてことは起きないわけです。

じゃあ、なんで自由研究=難しいってイメージになるのか。

 

やることが決まってないから。

 「自由」に「研究」した結果を報告としてまとめる、って大学等では当たり前に行われていることだと思うのですが、「自由であること」も「研究すること」のどちらも難しく感じさせる要素だと思います。

 

「自由」だと考えられない。

自由って素晴らしいことですが、自由とは、自分がどこに向くのかを決めるのが自分になるということです。

例えば、朝顔の観察をレポートとしてまとめてください。って言われれば、親は頭を悩ませることはないでしょう。

が、何でもいいから自由に研究していいよ、と言われると、何をしてよいのか分からなくなります。

学校教育は、学習指導要領(制約)に従って授業を行い、学校から課された宿題(制約)をこなしながら、学力をつけていきます。また、学力測定も、一定の範囲(制約)からテスト問題は作成され、それに答えられるかどうかを基に行います。

そのため、基本的には「制約」を与えられながら学力向上に努めるのが学校の仕組みです。

その仕組みに慣れてしまっているため、制約のない「自由」を与えられた途端に、何をしてよいのか分からず、思考停止が起きてしまっています。

それは子どものみならず親も同じなので、親も一緒になって何をしてよいか分からないからキットを購入しよう!と思考停止な判断に陥ってしまいます。

それが、自由研究を難しく感じてしまう一因です。

 

「研究」何かよく分かってないから、難しく考えすぎる。

「研究」という単語は非常に難しそうなことをやらなければいけない、という気がします。

「研究」という言葉から、どんなイメージ(=映像)を思い浮かべますか?

化学者が試験管に何か入れて難しそうなことをやろうとしていたり、何かを顕微鏡で除きながらいろいろ調べている・・・

おそらくこんな感じじゃないでしょうか?

 研究って言葉が持つイメージからエジソンみたいなスゴイことを想像してしまい、逆に何をやれば良いのか分からなくなっている気がします。

また、親世代にも研究を経験したことの無い人が多くいると予想されます。

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年齢階層別の最終卒業学校の種類別人口比率

ガベージニュースから上記のデータは拝借いたしました。

これは2010年のデータなので現在(2019年)に当てはめる時には、+10歳くらいで考ると現在の親世代の最終学歴が分かります。

今の小学生の親世代は、20代~40代が多数を占めるでしょうが、今の20代の10年前のデータはあまり使えません。(2010年当時10代だったため、最終学歴が定まってないため。)従って、今の30代・40代だけが上記のデータが使えます。(このデータ上では、20代・30代が該当)

そのなかで大学を出ている人は以下の割合です。

  • 今の30代(データ上は20代):29.9%
  • 今の40代(データ上は30代):28.7%

高校までに「研究」を経験している人はほとんどいないと思うので、大学を経ている人が研究を経験していると仮定しても、3割弱しかいないことになります。また、大学に行ったからと言って研究した経験を持っているかは別物ですので、実際に研究を経験している人はさらに下がることが予想されます。

ここで言いたいのは、親も研究って何なのかよく分かってないってこと。(今の20代のデータはないですが、大きな傾向は変わらないでしょう。)

なので、研究という実態がつかめず、難しく考えすぎてしまい、何をしてよいのか分からなくなる、ということだと思います。

 

では、研究とはなにか。

このブログを頻繁によく読んでくれている方は想像がつくでしょうが、こういう時は根源にまずはアタックしてみるのが考えるキッカケになります。

[名](スル)物事を詳しく調べたり、深く考えたりして、事実や真理などを明らかにすること。また、その内容。(goo辞書)

はい。辞書にあたってみました。

「研究」自体はそこまで難しいことを言っているわけではないことが分かったと思います。しいて言えば「真理を明らかにする」は難しいことを想像させます。

じゃあ、真理とは・・・

いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。(goo辞書)

「変わることの無い正しい物事の筋道」とありますが、「変わることの無いこと」くらいの理解でとどめておきます。

2回ググってみただけで研究は以下のことだと分かりました。

物事を詳しく調べたり、深く考えたりすることで、事実や変わることの無いことを明らかにすること。

「事実を見つける」あるいは「変わることの無いこと」を明らかにするという目的を、「物事を詳しく調べたり、深く考えたりする」ことによって達成するとも言えます。

 

ここまで解釈が進めば、研究が難しいものではないことがわかるかと思います。

例えば、、、リンゴが木から落ちる、という現象を例にとります。

  1. リンゴの木を観察して、リンゴが木から落ちた。
  2. 机の上にあるティッシュ箱を観察して、ティッシュが机から落ちた。
  3. 雨を観察して、雨が空から地面に落ちた。

この3つの事実から、リンゴ・ティッシュ箱・雨を観察した結果、地球上ではモノが高いところから低いところに落ちるという事実を発見できました。

これは「研究」の定義に合致しています。これも研究といえる、ということです。

 

身近にあるものを観察したりすることで、十分に研究は行えるということです。

「研究」という言葉から抱く難しそうなイメージから、脱却できましたか?

 

じゃあ、どんあ研究テーマがあるのか。

まとめると自由研究の定義は以下となります。

特にテーマは定めないので、何らかの「事実を見つける」あるいは「変わることの無いこと」を明らかにするという目的を、「物事を詳しく調べたり、深く考えたりする」ことによって達成すること

「変わることがないこと」を証明するのは非常に難しいので、目的設定は「事実を見つける」というところに置いた方が難易度が低いと思います。

もう少し言えば、詳しく調べたり深く考えたりした結果、どんな事実を見つけたのか、を説明することは、自由研究での必須要素です。

例えば、朝顔の観察を例にとれば、

〇月 〇日 芽が出た

×月×日 花が咲いた

△月△日 種ができた 

こういった内容だけでは、「調べた」ことにはなりますが、調べた結果「事実を明らかにした」とは言い難いです。(細かな事実は明らかになっているのですが。)

大切なのは「調べた結果、何が事実として言えるのか」です。

この観察日記に「朝顔は芽⇒花⇒種という順序で成長する」という結論があればOKです。もし朝顔以外の花も同時に育てていれば、「花は芽⇒花⇒種という順序で成長する」と結論付けることも可能です。

 ここまで言えれば自由研究の定義に合致しています。

 

自由研究テーマの具体例

こういった感じで自由研究は進めていければ、特段難しいことはないです。

<理系:エネルギー>

  1. なんでも良いので傾斜を用意してください。(板とかをティッシュ箱に立てかける、でOK)
  2. 低い方に何でもいいのでモノを置いてください。(ティッシュ箱とか)
  3. 傾斜の高い方からモノ(チョロQでもボールでも何でもOK)を落として、低い方のものにぶつけてください。
  4. 傾斜の高さをちょっとずつ上げたり下げたりしながら、ぶつけられたものがどれだけ動くのかをチェックしてください。
  5. 高さとぶつけられた側の移動距離にどんな関係があるのかをまとめてください。

 

<文系:ラグビーW杯の出場国>

  1. 世界地図を用意してください。
  2. ラグビーW杯の出場国を世界地図上にマッピングしてください。
  3. マッピング結果から何が言えるのか・どんな傾向があるかを考えてください。
  4. なぜそういう結果なるのかを調べてみてください。

 

まとめ

こんな感じです。
お金なんかかけなくたって、自由研究って意外と簡単にできるんです。

もちろん、子どもがそれをやろうとすると、モチベーション的にも能力的にも難しいところはあると思いますが、自由研究については子どもではなく大人も分かってない、という事実を受け止める必要があります。

子どもができないことを大人のサポートによって伸ばしていくのが、教育だと思います。そのためには大人も学ばなければいけないときはあります。

学校が教えるべきこと・保護者が教えるべきこと、という境界線を作ることに意味はなく、子どもに足りないところがあるなら、それを補うのは「大人」の役目です。

それを、能力・時間を言い訳にして、子どもに適当に教えるのは危険であり、大人やるべき役割を果たせていないと感じます。

たかが夏休みの宿題の1つ、たかが自由研究ではありますが、それを手っ取り早く終わらせようとしていては、考える楽しさ・学ぶ楽しさ・成長する楽しさは放置され、やることだけが優先されるような印象を、今回冒頭に挙げたニュースからは以上のようなことを感じざるを得ませんでした。

私も含めた大人が一体となって、子どもが楽しいと感じながら成長することを支えられる世の中にしていければと思います。

では。