でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

学校の授業じゃ「思考力」なんて伸びるわけがない。

前回書いたのが8月で、そこから気づいたら数か月経っていました。

その間、世の中は台風15号・19号によって甚大な被害が起きました。スポーツ界では、世界陸上・バスケットボールのW杯・世界柔道・バレーボールのW杯・体操の世界選手権・プロ野球クライマックスシリーズラグビーのW杯等、ちょっと考えられないくらい一気にいろいろなイベントがありました。(継続中のものも。)

 

一方、自分自身においては、サンフランシスコへの出張があり、世界観が広がる経験を積むことができました。この話もどこかでしたいと思います。

また、思考系の研修講師を担当していたのですが、その中で、いくつかの気づきを得ることもできましたので、その話もどこかでしたいと思います。

 

今回は思考系の研修をする中で「考える」ってなんだろう?とふと思いました。

みなさんも「もっとよく考えろ!」とか、言われた経験はないですか?

そんなことだけ言われたところで、「考える」ということが分かっていなければ、一生問題は解消されません。(まー、そうやって言う人も何も考えずに言ってる可能性がありますが。)

 

ということで、自分なりに少し踏み込んで「考える」ということを考えてみました。

 

 

以前、「結果を出すために必要なこと」というエントリを書きました。 

dewahisashi.hatenablog.com

 

結果を出すためには、結果を出すためのプロセスがあり、そのプロセスとは以下のプロセスである、と述べました。

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結果を出すためのプロセス

ここでも「思考」が大切だ!と言っていますが、私自身も特に考えずに「思考」が大切だ!と言っていた、と気づけました。笑

 

また、これまでも何回か「思考」に着目してエントリを書いてきましたが、そもそも「思考」自体について考えたことが無かったなぁ、と改めて自戒しております。

dewahisashi.hatenablog.com

dewahisashi.hatenablog.com

 

 

 

では、ようやく本題ですが、

 

みなさん「考える」ってなんだと思いますか?

「考える」を他の言葉で言いかえると何ですか?

 

 

 

「考えること」って、親・学校等から教えてもらってきている気がするようで、実は「考えること」自体を教えてもらった経験はないのではないかと思います。

例えば、学校で

  • 文字
  • 足し算・引き算・割り算・掛け算
  • 歴史

みたいなことを教えてもらってきたと思います。

 

そして、皆さんの感覚の中には、授業で教えられてきたことを分類すると

  • 考えない系(=歴史とかの単純記憶系)の内容
  • 考える系(=数学や現代文のような記憶に頼れない系)の内容

が学校の授業内容だったという感覚がある気がしています。

 

 

間違いではないと思います。

が、私の感覚としては、学校で教えられている授業内容で、考える系のものは無い!と考えています。

この感覚のズレを説明するためには、私の考えている「考える」の説明が必要だと思います。

 

 

結構平凡な答えになってしまうのですが、

考えること

= ある課題に対する「意見」を導き出すプロセスのこと

だと捉えています。

 

これと学校が教えている授業内容との違いですが、

授業で指す「考えること」
= ある課題に対する「解」を導き出すプロセスのこと

だと捉えています。

 

この違いは大きいです。

学校の授業においては「解」を導き出せる問題を学生に与え、学生は「解」を導き出す訓練をします。その際、大きな前提にあるのは「解」は必ずあるということです。

その授業を受け続けた学生は、「解」があることを前提として世の中の問題・課題と向き合うため、自分の意見を導くのではなく、解を求める動きをします。

 

大人であれば誰でも知っている「世の中には解が無い課題もある」という当たり前のことを、授業内容だけでは学ぶことなく、社会に出ていくことになります。

実際の世の中では、解かどうか分からないけれど、いろいろ考えた結果、一番確からしい方法を選択することは多々あります。

その「一番確からしい方法」(=意見)を提示するための力が「思考力」です。

解があるかどうかも分からない中で、様々な情報を組み合わせたりしながら自分なりに得られた結論こそ、自分の意見であり、それが導き出すプロセスが「思考」です。

 

 

では、今の授業内容で思考力を伸ばすことはできるでしょうか?

答えは当然、無理です。

「解があることを前提とした」授業・テストを行っている限りは、解を求めてしまいます。

また、解の精度によって成績をつけているということは、解のある問題に対して、正しい解を導き出す能力が高い人が高い評価を受ける、ということです。

ここでのポイントは、正しい解とは言えないものの、自分なりの考えを提示したところで全く評価されない、ということと同義という点です。

自分の意見を導き出す能力よりも、解に近しいことを導き出せる人の方が評価される、ということなので、その発想を変えない限りは、学校の授業で思考力なんて伸びません。

 

では、今の学校で「思考力」が伸びないか?と問いを直すと、、、

答えは、可能、と考えています。

学校生活を送るうえでは様々な課題が生徒自身にも突き付けられます。

  • 成績を伸ばすためにどうしたらよいか?
  • 友人と仲良くするためにはどうしたらよいか?
  • 部活でレギュラーを取るためにはどうしたらよいか?

こういった課題は「授業」とは別のところで生徒に突き付けられます。

そして、これらの課題に対して解はありません。なので、生徒は自然と思考力を身に着けていくことができます。(厳密には道徳の授業でも、思考力は伸びる可能性があります。)

 

 

授業で思考力が伸びなくても、学校生活で身につくなら、今の学校のままでいいじゃん?

 

 

皆さんは、どう考えますか?

 

では。