でわひさしの日記

世の中、教育、仕事、趣味などに関して、日々感じたこと・考えたことをつらつらと。

2020年に実現したい3つの目標

新年、明けましておめでとうございます。

新年ということで、心も新たに1年間の目標を考えてみたいと思います。

2019年に立てた目標3つと達成度はこんな感じでした。 

1.今の仕事に全力で取り組み、コンサルとしての力を大きくつける。
  ⇒ 達成度:〇
    これまでに取り組んだことのない領域にチャレンジし力が付いた。
    けど、満足できるレベルだったか、というとやや疑問が残る。

2.中小企業診断士を取得する。
  ⇒ 達成度:×
    勉強はしていましたが、受験することなく終了。
    本気で取りたい、取らなきゃならないと思っていなかったようです。

3.引っ越しを無事に終わらせる。
  ⇒ 達成度:◎
    無事終わりました。

dewahisashi.hatenablog.com

 

振返ってみれば、有限不実行という格好の悪い感じになりました。

その意味で2020年に立てる目標は必ず実現します。
(ある意味、それが最初の目標。)

 

 

では、本題です。まずは大きなテーマからです。

2020年は教育に関わるためのホップ・ステップ・ジャンプの「ステップ」の時期です。

2019年のホップ期には、着実に目立たないことをやってきましたが、2020年は助走を加速させていきたいと思っています。

具体的には、想いの発信行動です。

2019年は仕事・プライベートを通じて想いを発信することの重要さを強く感じました。

実行できるスキルがあるかといった問題ではなく、発信し続けることによる影響の大きさやその力強さを改めて感じました。

発信し続けることによって実行できるスキルがある人たちが集まる瞬間も見てきました。

私自身はもともと想いを発信することが得意でしたが、スキルの不足を痛感しそれを身に着けるためにもコンサルタントとしてゼネラルなスキルを身に着けてきました。

しかし、10年コンサルをやっているとスキルに目が行きがちで、想いの発信をろくにしないまま今に至ってしまっていた、ということに気づきました。

そこで、改めて想いの発信をしていきたいと思います。

しかし、発信するだけでは何も生まれないため、行動もしていきたいと思います。

これまで培ってきたコンサルとしてのスキルを一度捨てるような形になるかもしれないですが、自分の人生を前に進めるために一度今までの自分を否定しながら、いつか融合する地点が来ることを信じて、想いの発信と行動をしていこうと思っています。

 

 

では、具体的な目標です。

1.優先度高:2021年から始動する予定の教育への携わり方を具体化します。

これまでは「こんなこともいいなぁ」とか「あんな形もあるなぁ」とか、緩く考え続けてきました。しかし、もっとはっきりとした関わり方を作り上げようと思います。

現時点では未定な部分が多いのも現実ではありますが、どういったことができるのかをいろいろな人に関わりながら明確にしてきたいと思います。

そのためには、自分が何を社会に与えたいと思っているのか(想い)を磨く必要があります。したがって、それも同時に行いながら、2020年の年末には教育への携わり方を具体化したいと思います。

 

2.優先度高:断捨離します。

プライベートな目標です。私は小さいころから、興味関心が移りやすく、基本的に集中力散漫です。そのため集中と選択が非常に苦手です。

プライベートでもモノが多くなりがちなので、心を鬼にしていろいろ断捨離します。

これらはモノだけでなく、時間についても同様です。

時間・モノを断捨離することによって、仕事・プライベートのどちらも好循環を生み出していきたいと思います。

 

3.優先度中:英会話ができるようになります。

仕事で使いたいわけではないです。

教育を考えるにあたって、海外の事例を把握できたり、考え方を学ぶことができるといいなと思っています。なにより、外国人と話すのは文化や育った環境が違うので、日本人とは全然違う考え方だったりして、それがとても面白く感じます。

しかし、教育に直結するか?というと、かなり疑問が残るため、優先度は中です。

さらに言えば、できればまた海外へ行って、いろいろ見て・学びたいです。

 

 

冒頭にも書いたように今年立てた目標は必ず実現します。

2の断捨離によって生まれたバッファ(余裕)を1や3の目標に当てていくようなイメージを持っており、実現できるのではないかと思っています。

しかし、自分ではコントロールできない周りの変化も当然起きるので、それらに備えて準備しておくことが、より一層重要になるのではないかと考えています。(それゆえに、2がどれだけ徹底できるかにかかっているのかも。)

 

そんな私を2020年もよろしくお願いいたします。

では!

 

アナログ手帳売り場が賑わってますが、これってどうなの?

年末に差し掛かるとほぼすべての本屋・文具店では「紙の手帳」が販売されます。

もちろん本屋・文具店以外にも、東急ハンズやLOFT等の小売店でも売り場面積のかなりを占めるくらい、手帳メーカー・小売店が力を合わせて販売しているのが、紙の手帳です。

 

最近では、スマホタブレットがかなり浸透しているため、スケジュール管理自体はもはや紙の手帳で行う必要性は薄れています。

スマホでもできることを、わざわざお金を払ってカバンを重くしてまで、紙の手帳を持ち運んでいるのが現在です。

 

そんな私もこよなく紙を愛する一人であり、手帳の中でも最大級の重さを誇るシステム手帳A5サイズを常に持ち運び、日々筋トレをしているのです。 

dewahisashi.hatenablog.com

 

紙の手帳のメリットを挙げればいくつかあります。

例えば、

  • パッと見ができるので、スマホに比べて見やすい
  • サッと書きができるので、スマホに比べて書きやすい
  • 紙に書くという行為自体が良い

みたいなところでしょうか。

 

しかし、私も細かなスケジュール管理はGoogleカレンダーで全て済ましており、紙を持ち運ぶ必要ってあるのか?と自問自答に陥ることも多々あります。

(そのため、自由度の高いシステム手帳を使っているわけですが。)

正直、紙の手帳のデメリットを挙げる方が簡単です。(スマホとの比較です)

  • 紙の方が重たい
  • 常に持ち運んでいるとは限らない
  • 予定が変わるたびに、消したり書いたりしてめんどくさい
  • パッと書ける!といっても、スマホの方が絶対早く取り出せる
  • ヒトと予定の共有がしづらい

などなどです。

紙の手帳を愛用している立場ではありますが、もはや嗜好品だと思ってます。

なので、スマホタブレットがどこまで進化しても持ち運んでいるんだろうなぁと。

 

 

そんな紙の手帳にも関わらず、手帳売り場が拡大しているのはどうなのか、、、と思ってます。

(紙好きの立場からすると、各メーカーからいろいろ出るのは楽しいのですが。。。)

 

まず単純に需要量よりも多くの数を作っていることは間違いなく、かなりの数が廃棄されているはずですし、それらのコストは販売単価に上乗せされています。

 

手帳の特殊性は、賞味期限がある文具品という点にあります。

今で言えば、2020年向けの手帳が販売されているのですが、このタイミングで2019年や2018年の手帳が販売されたからと言って、購入する人はいません。

手帳メーカーの立場では、2020年向けの手帳の販売数を伸ばすために、在庫切れを起こさないよう、かなりの数が生産されています。(これはもう売り場を見れば明らか)

つまり、起きるのは在庫過剰な状態となり、当然売れ残りが発生します。

通常の文具品であれば、いつか売れると在庫を各店舗で抱えることもできますが、手帳は先の理由により、在庫を抱えることができないため、メーカーへ返却するかたたき売りするかの2択になります。

在庫過剰が起きることを見越して、販売単価を上げておくのは、メーカーの立場からすると当然だと思います。

 

 

また、手帳のフォーマットは通常の文具品に比べて多い、という点も特殊です。

通常のノートであれば、大きく横罫・方眼・無地にサイズ(A4・B4・A5・B4)の組み合わせくらいがフォーマットの最大数です。

しかし、手帳には、

  • マンスリーカレンダーの有無
  • マンスリーカレンダーの表現(ブロック・ガント・一覧)
  • ウィークリーカレンダーの有無
  • ウィークリーカレンダーの表現(レフト・バーティカル
  • その他ページ(駅路線図有無、ノート有無、読書記録有無など)

といった違いが、サイズやデザインごとに設けられています。

人によって異なる使い勝手に対して、良い手帳を目指すと、バリエーションはかなり増えていきます。

これらを1冊の手帳として作り上げていくと、普通のノートに比べてかなり複雑な工程をくみ上げた生産が求められることが予想されます。

それらのコストも、当然販売単価に上乗せされているわけです。

この観点は、明らかにデジタルの方が強いところなので、本当に紙の手帳はめんどくさいと思います。

システム手帳は組み換えが可能なので、ややデジタルちっくですが、販売数量が多くない分、単価に上乗せされており、システム手帳のリフィル(中の紙)は高価です。

 

 

紙の手帳のメリットデメリットのようなものを前述しましたが、メーカーにとってもめんどくさいのが紙の手帳、というのが本音ではないかと思っています。

かつ、メーカーにとってのめんどくささは販売単価に上乗せされているので、消費者目線でも嬉しくないのが本来のはずです。さらに言えば、過剰在庫による廃棄(実際はリサイクルされているかも)も起き、謎のコストが生じます。

 

書いていたら、いっそのこと全員デジタルにしちゃえばいいじゃん、と思ってきました笑

 

が、メーカーがそこまでして販売しているのには、何等か理由があるのでしょう。

紙の手帳の販売数量の経年データが見つかりませんでしたが、「紙の手帳は売れる」という理由があるのでしょう。

しかし、こんなにデメリットだらけの紙の手帳を買い続ける日本人は、もはや謎です。

そして、私自身もその謎の中にいるのです。

令和になっても残る7不思議の1つと捉えながら、その慣習が令和の終わりになっても残っているかを楽しみに待ちたいと思います。

最近は、デジタル⇒アナログへの逆移行も流行りつつあるので、令和の終わりにも残っているかも。

 

みなさんは、来年の手帳を買いましたか?

 

では!みなさん良い新年を!

令和元年(2019年)を振り返る

はてなブログにブログを移設したのが2018年の年末なので、早いもので1年が経ちました。

dewahisashi.hatenablog.com

 

現時点では、ほぼこのブログは2019年の記事しかない状態ですが、合計57個のエントリを作成しました。

更新頻度の高い時期・低い時期はありましたが、だいたい週1ペースで書いていたことになり、思ったよりも継続していた自分に驚きました。

 

まぁ、ブログを書いている自分の頑張り(?)なんてどうでもいいのです。

 

2019年を振り返ると「変化」の1年でした。

とはいっても、自分の変化というよりは自分の周りの変化です。

これは自分では全く予期できない(アンコントローラブルな)ことです。

ですが、それらが自分自身に影響を与えられていることも事実です。

 

そのあたりを深堀してみようかと思うのが、今回の主題です。

 

そもそも自分にとって、2019年は自分の変化の兆しを作り始める1年、と考えていました。

いつか詳細に記載したいと思っていますが、現在はコンサルタントとして働いているところから、2021年ごろには教育関連に携わる働き方にシフトしていきたい、と思っていました。

2018年時点の自分から見た時の3年後、という感じです。

3年の過ごし方を考えると、最初の1年は助走期間といった位置づけです。

つまり、2019年は教育関連に携わる働き方にシフトする第1歩という感じです。

 

実際、ここに向けていくつかの活動も行ってきました。 

dewahisashi.hatenablog.com
dewahisashi.hatenablog.com

 これらは象徴的な感じですね。

教育というテーマにど真ん中で応えているものです。

 

これ以外にもいくつか活動をしていましたが、まだまだ活動量・質の双方から見た時に、「まだまだ」という感じが否めないのも事実です。

 

そんな自分とは対照的に、人間関係を含めた周りの環境はいろいろと変わりました。

  • 自分自身の引っ越し(賃貸⇒持ち家に)
    これによって自分の家の中の環境が変わったことはもちろん、家の周りの環境が変わったため、休日の過ごし方も大きく変わりました。
  • 相次ぐ会社同僚の退職
    会社で親しくしていた先輩・後輩の退職が相次ぎました。
    その中には、居住地域を国内で変えたり、国外に行ったりといろいろありますが、それぞれの人たちの人生の過ごし方が大きく変わるレベルの分岐点だと思います。
  • 周りの人の結婚
    自分がすでに結婚しているのではありますが、結婚した人たち同士からすると、も人生が大きく変わるような分岐点になっていると思います。

自分自身の引っ越しを除いて、周りを見ていると人生に影響を及ぼすレベルでの意思決定をして、それぞれの人生を歩んでいます。

自分がいる会社は人の出入りが多い会社(業界)ですし、年齢的にも結婚する人が多いのですが、2019年の目標に自分の変化を挙げていたせいか、考えさせられました。

 

これらの変化は、自分自身そのものが変わっているわけではないため、振り返りとしては物足りなさを感じざるを得ないところはあります。

しかし、周りの人たちから様々な影響を受けながら自分の人生が変わっていくのだとしたら(それも当たり前っちゃ当たり前か)、それも面白いなと思いました。

来年は、さらに自分の変化を加速させて、生きていく1年になると思います。

そのあたりは、年明けにでも書いて行こうかと思います。

 

では。

「あたらしいしょうがっこうのつくりかた」を読んだ感想

以前に、日本初のイエナプランスクール(大日向小学校)の開校式に行ってきた、という記事を書きましたが、その小学校が作られていく過程を書いた本を読みました。 

 大日向小学校のHPはこちら

 

以前にMakuakeでプロジェクト化されており、それに申込んでいました。

www.makuake.com

 

2冊申込んでいたものが届いたので、さっそく読んでみました。

作者の想いを正確に伝えられないため、一部引用はしますが、書籍の細かな内容は記載しません。
(内容が気になる方には申し訳ないです。)

今回は、これを読んだ私の感想を中心に書きます。

f:id:dewahisashi:20191124201338j:plain

届いた書籍の写真


開校を祝う会に参加させてもらったことからわかるように、私自身もこの学校にはわずかばかり関与しており、今回の書籍化は楽しみにしていました。

”わずかばかり”というのが肝で、私は本当に一部しか学校が作られる過程を知らないため、その前後に何があったのか、どんな想いがあって作られたのか、といったことを知ることを、非常に楽しみにしながら、本書を読み始めました。

 

 

一番強く感じたことは、

学校を作り上げることへの想い・熱量の大きさ

でした。

 

本には、

  • 著者の経歴(イエナプランとの関り等)
  • イエナプランとは何か
  • 学校建設に至るプロセス・大変なポイント(特に地域との関り)

といったことが書かれているのですが、全章を通じて感じたのが想いの大きさです。

 

「自らの出身地じゃない場所に、小学校を作り上げる。」という一見すると無謀に思え、実際にやってみると非常に困難な取組を遂行していくためには、想い・熱量が大きくないと成し遂げられないのだ、と言い換えることが可能です。

私もプロジェクト実行・推進を生業として働いているので、一般的な社会人と比べると一日の長がありますが、学校を作り上げることを一つのプロジェクトとして見た時に、求められる能力は大きく違う、と感じました。

 

私のような仕事で求められる能力は、ゴールを定義したり、スケジュールを引いたり、品質を高めたり(基準を下回らないようにしたり)、予定通りにプロジェクトを進めていくような能力で、「スキル」に該当するものだと思います。

一方で、今回のような大きな取り組みを実現する時には、多くの人を動かしていく必要があります。本書でも

一人で学校を作ることはできない 

と述べられ取り、学校内部の関係者・関わる業者・佐久穂町の行政・佐久穂町の地域の人たちなどとの関わりなくして学校はできず、多くの人を動かす必要があります。

そんな人たちを巻き込み・動かしていき・実現にたどり着くためには、想いの大きさが必要なのだと感じました。それを平たく言ってしまえば、「マインド」に該当するものだと思います。

スキルとマインド(あるいはマネジメントとリーダーシップ)のような表現を使うと、すごく薄っぺらい気がしてしまいますが、私が感じたのはマインドの大きさ・発信することの大切さです。これを無くして、複数の関係者を巻き込んでいくことは不可能だったのだろうと想像されます。

もはや想い・熱量が多ければ、細かいスキルなんてどうでもいいじゃん!と思うくらいに、何かを成し遂げたいという強い想いが大事だと感じさせられました。

 

本の感想とは少し外れてしまいますが、私個人として、強い想いを持つ必要性は、今年に入ってから感じることが多々あります。

不思議とそういう出来事が自分の中で重なり、本書からも同じように感じたのは、何かのきっかけかな、と。

 

 

次に、学校を新しく作る情報が詰まった本が世の中に出たことのは非常に価値が高い、と思います。

学校が新しく設立されることはありますが、その中でどんなことが行われているのかが説明されているものは多くありません。設立する人にとっては、1度きりのことなので、次の人に向けて知識・経験を残しておこうと考える人が少ないことが原因だと思います。

じゃあ、口伝で伝えていけばいいじゃんという話なのですが、学校設立の経験者も多くない実情を考えると、本書は新しく学校を作る人たち向けのガイドラインになると思います。(現在50歳以上くらいの人たちだと、若かりし頃に新しくできた学校に入学した経験を持つ方は多いようですが、さすがに作ったことはない。)

事実、学校設立にあたってのタスクを一覧化しようと思い、参考情報を集めた時期があるのですが、なかなか参考となるものが見つかりませんでした。

書籍のタイトルがそれなので、この価値は当たり前なのかもしれないですが、これまで当たり前にありそうな参考情報が多く出回っていなかったことを考えると、この書籍は有難い情報が集約されたものだと思います。

 

 

最後に、設立時には地域を本当に大切にする必要がある、ということを感じました。
(一つ目の内容とやや重なりますが。)

大日向小学校を作った方々が共通して、地域との関係を非常に大切にする、と考えていることが書籍を通して伝わってきます。

それを無くして大日向小学校は設立できなかった、というメッセージにも受け取れます。

本書の中にも

「学校が地域から無くなる」ということは、地域がだんだんと小さくなっていくことにつながり、それくらい「学校」という存在は地域に大きな影響を与えてしまうものだ

という記述があり、学校周辺地域に対する責任感を背負って、学校づくりに携わられたのではないかと感じます。

学校の役割は、学校にいる生徒への学力向上のみならず、地域コミュニティづくりにも一躍買っていたことを、改めて感じました。

 

 

今回この書籍を読んで感じた大きなポイントは、こんなところです。

イエナプラン・新しい学校づくり・大日向小学校のことなどが書かれているので、興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

あたらしいしょうがっこうのつくりかた

あたらしいしょうがっこうのつくりかた

 

 

参考:日本イエナプラン協会

www.japanjenaplan.org

では。

全能感と無能感のどちらも感じながら、バランスを取りつづけるのが教師ではなかろうか。

最近ニュースも少し鎮静化してきましたが、神戸市の小学校で教員間によるいじめが明るみに出ました。

oricoma.com

www.fnn.jp

 

教師という立場でありながら・・・というか、人としてどうなのか?を疑いたくなるような内容で、正直このブログにリンクを貼ることすらためらわれるような事件です。

こんなことを平然とやり続けているからには、それなりの理由があったのでしょう。あったからと言ってその理由(言い訳)に興味もないのですが、なにより被害者が不憫でなりません。

ましてやそんな教師を見て育ってしまった子たちも同様に被害者です。

 

 

ここまでひどいことをしていた神経は、全くもって私には理解できないのですが、教師という職業は結構危うい職業だと感じています。

危ういと言っても今回のような事件を引き起こすような危うさではなく、精神的なバランスを保つのが難しいという意味での危うさです。

この記事を読む全員にお伝えしておきたいのですが、今回の事件を起こすような危うさを教師が抱えているとは思っていません。今回の事件を起こす危うさは、教師という職業ではなく、組織・個人に依存するところが非常に大きいと感じています。

しかし、教師という職業をある角度から見てみると、1/10000くらいは動機が見える気もします。

ということで、教師という職業の精神的なバランスとは何を指すのかを述べていきます。

 

 

教師は、教師になった1年目でも、すぐに教える立場になる、という点が特徴的です。

通常の会社であれば新入社員1年目がいきなり誰かに教えることはほとんどなく、まずは教えられる立場として仕事を学んでいき、自立してきたらようやく教える立場になる、という感じです。そのため教える立場になるまでには早くても1年、長ければ数年かかる、というのが学校以外の常識かと思います。

教師がすぐに教える立場になる、こと自体を否定するつもりはありません。それが職業であり、教えることができる能力があると認められたからこそ、教師になれたのです。

もちろん、メンターとなる先輩教師が新人教師にはついたりするでしょうが、授業内容や生徒と接する様子を事細かにチェックしてくれて、常にアドバイスをくれるような状態になるとは考えにくいです。(先輩社員も担当を持っているケースがほとんど。)

さらに教える内容は授業内容だけに留まらず「生活指導」 という名目で、生徒の生活にまで言及し、生徒を人として成長させることまで教師には期待が及びます。(親との線引きがよく問題になっていますが)

これらの点が教師の特徴的なポイントで、

自分よりも人生経験が劣る学生を相手に、
知識や人としての在り方を教え続ける

という稀有なことを新人のうちからやり続けます。それが教師という職業です。

 

これによって教師を選択した人に芽生える全能感はいかほどでしょうか。

学生を相手に考えると常に強い立場にあり、一方的に指導し続ける、というのは、かなり特殊な状況であることは間違いないでしょう。

ましてや会社等と比べると、先輩・上司から指導が入る回数も少ないことが予想されるため、なかなか意識を是正しにくいことも予想されます。(私自身が教師経験があるわけではないので、想像ではありますが。)

 

 

しかし、まったく反対のことも教師に対して考えることがあります。

つまり、教師ほど無能感を味わい続ける職業はないのではないか、ということです。

教師がどれだけ熱心に誠意を持って学生に学習・生活指導をしたところで、学生が変わるかどうかは学生次第です。

教師は、学生が変わる(主に成長する)ためのサポートはできるけど、変わらせることはできません。

下手すれば、常にぬかに釘状態が続き、自分はいったい何のために教えてるの?みたいな状態になりかねないと思います。

教えることがミッションだけど、期待されるのは成長させることである教師にとって、「学生が変わらない」という事実は、無能感をどれほど与えるものでしょうか。

 

 

教師は、学生を相手にしているがゆえに全能感も無能感も味わう職業ではないかと私は考えます。

また、その全能感と無能感のバランスをうまくとることこそが、精神的なバランスを保つ秘訣ではないかと思っています。

 

学校の先生と接していると感じることがあるのですが、

全能感に寄っている先生は、大人に対しても少し横柄な対応を取っています。

もちろん普段子どもとばかり接しているので、癖付いているところもあるでしょうが、全教師がそうなっていないことを考えると、人によるのでしょう。

一方で、無能感に寄っている先生は、学生を良くしたいという気持ちが薄まっていることがあります。

おそらく、心の底では「良くしたい!」と思っているのでしょうが、そんなに甘くない、、、といった気持ちが全身から表出しています。

 

この全能感と無能感のバランスを取り続けることこそ、教師が精神的なバランスを取る肝だと考えます。

ただし、ここで言及しているのはあくまでも「対学生」という視点のみです。「対教師」「対保護者」といった観点を入れ始めると、精神的疲労度は増すでしょう。

また、教師は肉体的な疲労も大きくあるため、こちらはこちらで対処が必要です。

問題が生じると毎回行われるよく分からないアンケートの数々で日々の工数が奪われ、本来割きたい「対学生」の工数をねん出できず、残業するしかなくなったりしている現状もあります。

 

また、一般企業にいると全く理解できないアナログな事務作業の応酬で、教師の工数を奪っている様には、もはや驚きを通り越して感嘆の声を上げるほどです。

そもそも教師という職業に就く人は、大学まで出た人がそのまま教師になるケースがほとんどです。

ちょろっとデータを調べたくらいでは数値が特定できませんでしたが、転職して教師になるという人に比べて、新卒で教師になる人の方が圧倒的に多いと思います。

教師は社会を知らずに教師をやっているため、世の中との乖離が起きていても気づきにくいです。

転職してくる人が多い職場であれば、自身が転職せずとも外の世界を知る機会もありますが、学校ではそうもいきません。転勤も6年に1回という程度で、結局転勤先も外の世界を知らない人ばかり。

 

 

少し話がそれてしまいましたが、教師という職業の特殊性から、以上のようなことが言えるのではないかと考えました。

 

今回の内容については、これまで接してきた教師の話やわずかなデータをもとに、自分の頭で考えた内容でほとんどなので、正直的外れかもしれません。

しかし、全能感を感じすぎたり、無能感を感じすぎたりしてしまうことで、精神的なバランスが取れなくなる、ということが教師に起きるかもしれない、ということは、今後教員を目指す人には、ぜひとも知ってもらいたいと考えました。

教員を目指す人であれば、こういった感じで物事をそれぞれが自分なりに考え続けて、より良い教育の在り方をいっしょに考えていきたいです。

 

では。

思考を「見える化」することの大切さ。日本語力を高めよう。

前回に引き続き「思考系」シリーズです。前回のエントリはこちら。 dewahisashi.hatenablog.com

 

前回は考えることとは何か(What)について言及しましたが、それだけ分かっても「考えられる」ようにはなりません。

「考えられるようになる」とは、すなわち方法(How)を体得することが必須です。

 

しかし、「考える」という行動時代が抽象的な概念であるため、「考える」ということを適切にHow-Toとして表現できているツールに巡り合ったことはありません。

コンサルという職業柄、考えるための方法をいろいろと探してきましたが、なかなか難しいというのが実感です。

例えば以下のようなもの、考えるためのツールとして広く世の中に知られています。

  • ピラミッドストラクチャー
  • ロジックツリー
  • マンダラチャート
  • マインドマップ
  • フィッシュボーンチャート

などです。

 

これらのツールが具体的なツールの名称であるのに対して、もう少し抽象度を上げた表現を使って考える方法を説明することもあります。

  • ロジカルシンキング(論理思考)
  • ラテラルシンキング(水平思考)
  • デザイン思考
  • メッセージシンキング
  • シナリオシンキング
  • 仮設思考

などです。

もっと抽象度を上げていくと「左脳思考」「右脳思考」みたいな感じになります。

 

これらの考えるためのツールは、あくまでも考えるためのサポートに過ぎない、ということを念頭に置いてもらいたいと思いますが、使いこなせるようになれば強力です。

 

しかし、どのツールを使いこなすためにも必須となる能力があります。

それが本記事のタイトルにもあるような「思考の見える化能力です。

(今回、ひらめき力のようなものは、対象から外します。すいません。) 

 

 

これができるとできないのでは考える質に雲泥の差が出ます。

また、考えた結果を相手に説明する際にもこれができると非常に強力です。

一応補足しますが、後者は非常に重要です。

考えた結果が価値があるかを決めるのは自分ではなく周りの人です。そのため、考えた結果やプロセスを相手に説明ができなければ、価値があるかどうかを相手が考えることすらできません。

 

 

まず、なぜ思考の見える化が大切なのか、という点に触れていきます。

これを理解してもらうためには、反対の状況から考えていくと分かりやすいです。

つまり、「考えることが苦手な人は何ができていないのか」ということから考えます。

ただし、この際の前提として、経験を含む情報は十分に持っており、いわゆる通常の思考力は持っている人を想定します。

 

考えることが苦手な人は、全てを「なんとなく」で考え続けます。

 

例えば、ある飲食店の売上が低迷している原因を特定しようとする場合、

 売上 = 単価 × 顧客数

こういった式で表現されることはおおよその人が理解しており、単価もしくは顧客数のどちらが下落したのかを見極めて、下落の大きな方に真因があると定め、対策を打つ。

そういった感じです。

仮に単価が落ちている場合、

 単価 = メイン料理単価 + サイド料理単価

のような形で深堀していき原因を特定していきます。

 

 

ここまでに違和感を感じましたでしょうか?

もし何も感じなかったのであれば、「なんとなく」考えているということです。

 

上記の例で言えば、「単価」とは何を指しているでしょうか?

  • その飲食店で販売しているメニューのすべての平均単価
  • お客さんが注文してくれたメニューの平均単価

少なくともどちらなのかを意識しておく必要があります。

この場合、無意識で後者を選択しているケースがほとんどだと思いますが、それを適切に言語化しない状態で考え続けると、気づいたら前者になっていた、なんてことが起きます。

議論している最中に考えていたことが変わっていってしまう人は、こういった言語化の「ゆるさ」を残したまま考えている人です。

 

また、「顧客数」の「顧客」も気をつける必要があります。

飲食店(=レストラン)であれば、お店に入った人=注文・購入してくれた人でしょうが、これが衣料店になった瞬間、お店に入った人≒注文・購入してくれた人になります。

どちらを差すのか明確にしたほうが、思考にブレが出ないため安全です。(この例であれば、「購入者一人あたりの注文平均単価」や「購入者数」といった表現を使ったほうが良いです。)

 

ここまで例示してきましたが、考えることが苦手な人は「何を考えているのかがはっきりしなくなる」状態が起きます。それを避けるためには、可能な限り「言語化」することが必要です。

言語化といっても難しく考える必要はなく、できるだけ正確に表現することを心掛ければよいです。まずはその意識を持つだけで、考えることに実像が伴います。

 

また、考えることが苦手な人は、自分の使っている表現の「ゆるさ」に気づきません。

(「ゆるさ」に気づくことができていれば、そもそも「ゆるく」なりにくいです。)

先ほどの「顧客数」を例にとると、

  • お店に足を踏み入れた人の数
  • お店で商品を購入してくれた人の数

上記の2つを明確に区別できるようになるためには、「顧客」を具体的にイメージしてみる必要があります。

なんとなく「顧客」と言うのではなく、どういったお客さんを「顧客」と呼ぶのか、お客さんの行動をイメージしながら考えると容易になります。

 

商品を購入するまでには、いくつものステップがあります。

  1. お店を知る
  2. お店に入る
  3. 商品を選ぶ
  4. 商品を購入する

歩行者としては上記のステップを経ない限りは商品購入にはたどり着きません。(ECの場合は違いますが。)

このステップをイメージできれば、どれを「顧客」とするかを選択するだけです。

1・3を顧客と呼ぶことも可能ではありますが、計測することが困難なため、実質的には選択不可能です。

従って、計測可能な2・4のいずれかを「顧客」と呼ぶことになります。あとは目的に応じて選択するだけです。

 

このような形で考えると同時に「見える化」していきます。

 

 

ここまでの内容をまとめます。

 

また、自分の考えを見える化するためには、(口頭含む)文字・文章に頼る以外の方法はありません。(脳内を透視する仕組みがあれば別ですが。)

絵を使って自分の考えていることを全て伝えきれるのであれば、絵の能力を最大限向上させることが良いかもしれないです。

しかし、大多数の人にとって絵だけで表現することは困難です。特に抽象的な話になればなるほど絵での表現は難しくなります。また、精緻に表現しようとすると、文章と比較して時間もかかります。(簡単な内容であれば絵に描いてしまったほうが早いこともあります。)

 

そのため、文章・言語を活用するのが現実的であり、実際世の中はそう動いています。

できるだけ正確に自分の考えていることを表現する力を身に着けることで、思考力も向上していくと考えます。

そのためには、日本語力を身に着ける必要があります。(母国語が日本語であれば)

自分が何を考えていて、それを具体的に表現する能力は、すなわち日本語力です。

 

 

極端に言えば、日本語力を向上させることが思考力の向上につながる、と言えます。

思考の見える化の大切さや日本語力の大切さが伝われば何よりです。

ということで、最後に日本語力向上のおすすめ本を紹介して終わります。 

文章力の基本

文章力の基本

 

↑とりあえず1冊読むなら、読みやすいのでおすすめです。 

 

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

 

 ↑少し難解な内容を表現する力を身に着けたい人におすすめです。 

 

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

 

 ↑ 1文ごとの文章力の品質が上がった人におすすめです。

 

では。

学校の授業じゃ「思考力」なんて伸びるわけがない。

前回書いたのが8月で、そこから気づいたら数か月経っていました。

その間、世の中は台風15号・19号によって甚大な被害が起きました。スポーツ界では、世界陸上・バスケットボールのW杯・世界柔道・バレーボールのW杯・体操の世界選手権・プロ野球クライマックスシリーズラグビーのW杯等、ちょっと考えられないくらい一気にいろいろなイベントがありました。(継続中のものも。)

 

一方、自分自身においては、サンフランシスコへの出張があり、世界観が広がる経験を積むことができました。この話もどこかでしたいと思います。

また、思考系の研修講師を担当していたのですが、その中で、いくつかの気づきを得ることもできましたので、その話もどこかでしたいと思います。

 

今回は思考系の研修をする中で「考える」ってなんだろう?とふと思いました。

みなさんも「もっとよく考えろ!」とか、言われた経験はないですか?

そんなことだけ言われたところで、「考える」ということが分かっていなければ、一生問題は解消されません。(まー、そうやって言う人も何も考えずに言ってる可能性がありますが。)

 

ということで、自分なりに少し踏み込んで「考える」ということを考えてみました。

 

 

以前、「結果を出すために必要なこと」というエントリを書きました。 

dewahisashi.hatenablog.com

 

結果を出すためには、結果を出すためのプロセスがあり、そのプロセスとは以下のプロセスである、と述べました。

f:id:dewahisashi:20190218153835j:plain

結果を出すためのプロセス

ここでも「思考」が大切だ!と言っていますが、私自身も特に考えずに「思考」が大切だ!と言っていた、と気づけました。笑

 

また、これまでも何回か「思考」に着目してエントリを書いてきましたが、そもそも「思考」自体について考えたことが無かったなぁ、と改めて自戒しております。

dewahisashi.hatenablog.com

dewahisashi.hatenablog.com

 

 

 

では、ようやく本題ですが、

 

みなさん「考える」ってなんだと思いますか?

「考える」を他の言葉で言いかえると何ですか?

 

 

 

「考えること」って、親・学校等から教えてもらってきている気がするようで、実は「考えること」自体を教えてもらった経験はないのではないかと思います。

例えば、学校で

  • 文字
  • 足し算・引き算・割り算・掛け算
  • 歴史

みたいなことを教えてもらってきたと思います。

 

そして、皆さんの感覚の中には、授業で教えられてきたことを分類すると

  • 考えない系(=歴史とかの単純記憶系)の内容
  • 考える系(=数学や現代文のような記憶に頼れない系)の内容

が学校の授業内容だったという感覚がある気がしています。

 

 

間違いではないと思います。

が、私の感覚としては、学校で教えられている授業内容で、考える系のものは無い!と考えています。

この感覚のズレを説明するためには、私の考えている「考える」の説明が必要だと思います。

 

 

結構平凡な答えになってしまうのですが、

考えること

= ある課題に対する「意見」を導き出すプロセスのこと

だと捉えています。

 

これと学校が教えている授業内容との違いですが、

授業で指す「考えること」
= ある課題に対する「解」を導き出すプロセスのこと

だと捉えています。

 

この違いは大きいです。

学校の授業においては「解」を導き出せる問題を学生に与え、学生は「解」を導き出す訓練をします。その際、大きな前提にあるのは「解」は必ずあるということです。

その授業を受け続けた学生は、「解」があることを前提として世の中の問題・課題と向き合うため、自分の意見を導くのではなく、解を求める動きをします。

 

大人であれば誰でも知っている「世の中には解が無い課題もある」という当たり前のことを、授業内容だけでは学ぶことなく、社会に出ていくことになります。

実際の世の中では、解かどうか分からないけれど、いろいろ考えた結果、一番確からしい方法を選択することは多々あります。

その「一番確からしい方法」(=意見)を提示するための力が「思考力」です。

解があるかどうかも分からない中で、様々な情報を組み合わせたりしながら自分なりに得られた結論こそ、自分の意見であり、それが導き出すプロセスが「思考」です。

 

 

では、今の授業内容で思考力を伸ばすことはできるでしょうか?

答えは当然、無理です。

「解があることを前提とした」授業・テストを行っている限りは、解を求めてしまいます。

また、解の精度によって成績をつけているということは、解のある問題に対して、正しい解を導き出す能力が高い人が高い評価を受ける、ということです。

ここでのポイントは、正しい解とは言えないものの、自分なりの考えを提示したところで全く評価されない、ということと同義という点です。

自分の意見を導き出す能力よりも、解に近しいことを導き出せる人の方が評価される、ということなので、その発想を変えない限りは、学校の授業で思考力なんて伸びません。

 

では、今の学校で「思考力」が伸びないか?と問いを直すと、、、

答えは、可能、と考えています。

学校生活を送るうえでは様々な課題が生徒自身にも突き付けられます。

  • 成績を伸ばすためにどうしたらよいか?
  • 友人と仲良くするためにはどうしたらよいか?
  • 部活でレギュラーを取るためにはどうしたらよいか?

こういった課題は「授業」とは別のところで生徒に突き付けられます。

そして、これらの課題に対して解はありません。なので、生徒は自然と思考力を身に着けていくことができます。(厳密には道徳の授業でも、思考力は伸びる可能性があります。)

 

 

授業で思考力が伸びなくても、学校生活で身につくなら、今の学校のままでいいじゃん?

 

 

皆さんは、どう考えますか?

 

では。